時代は流れている。世の中すべてが進化しているが、プロ野球界も乗り遅れることなく前進している。

 私が阪神タイガースに入団したのが1958年。いったん球界を去ったが再び阪神のフロント入りしたのが1982年。たった10数年の間でシステム等にかなりの違いがあって感心した。もちろん、チームによって多少の差はあったと思うが、自分が歩んできた阪神を中心にプロ野球今昔物語、現代と半世紀前を比較してみるのも面白いと思ってペンをとってみた。

 プロ野球選手の資本は“体”である。生まれつき強い人、弱い人。体に関しては多種多様だが、ケアしていく上での方法には過去と現代を比べてみると、まるで逆説といえるほど大きく変わったものがある。中でも激変したのが…。まずは飲料水だろう。

 いまや水分補給は奨励されている。のどが渇いたから水を飲む時世ではない。熱中症予防を含めて早め、早めの補給が勧められている。昨今、野球界の飲料水はベンチをはじめ、球場のあらゆるところに置いてある。天然水、スポーツドリンク、炭酸水等々多種にわたって備えてある。

 現在、水分補給は医学的にも証明されている。なにもクレームをつける気はないが、私がユニホームを着ていた当時は練習中に水分を取るのは“ご法度”だった

 苦しかったことしか記憶にない。ご法度の理由は、いかにも、もっともらしく発汗による体力の消耗。それが180度転換した。はたして「水飲むな」は何だったのか。いまさら真剣に考えても仕方ないが、なぜか飲料水に関する決まり事の厳守は、体力に関わることとあってか生半可ではなかった。私も我慢できず、ときには隠れて口にしたことがあるが、見つかろうものなら鉄拳が飛んできた。何度か痛い目にあったことを覚えている。

 今となっては真夏の真っ昼間。灼熱(しゃくねつ)の太陽が照り付ける炎天下で我慢にも限度があるというもの。厳しい決まり事には反発したくなるのが世の常だ。もう、川の水、田んぼの水まで表面のほこりをそっと払いのけて手ですくって飲んだこともある。おかげさまでおなかなど壊したことはないので感謝しているが、当時の指導者いわく「汗が乾いてきたら額に塩が吹き出してくる。その塩をなめておけば唾液が出てくる。それで十分」があたり前の時代。確かに多少のうるおいはあるが、口の中はカラカラ。いっときの、まやかしにしか思えなかったが、水が飲めるようになったからといって野球に変化があったわけではない。ただの戯れ言にすぎないが全く同じ世界で、その道の常識が180度変わるのは珍しい。本当に苦しかった。というより小生のこの世に出てくるのが少々早かっただけかな…。

 大きく変わったといえば“アイシング”も同様である。とにかく、投手が肩やひじを冷やすこと自体が邪道。我々現役当時など、ピッチャーは肩が冷えるのを防ぐため、睡眠時には毛糸で編んだ肩当てなるものを利き腕の肩にはめて寝たほど。夏場もですよ。クーラーなどとんでもない時代。もう、暑くて暑くて汗をかいてあせもができたこともあった。他にも寝る時、膝が冷えないようにとストッキングをはかされた。この世界どちらかといえば温めることを優先していたが、まさか…。ピッチャーが投げたあと肩やひじを氷で冷やすなんて、本当考えたこともなかった。そして、このアイシング療法を日本球界に持ち込んだのが、阪神タイガースの元チーフトレーナー猿木忠男氏だと聞いて2度ビックリ。

 阪神は1978年からアメリカはフロリダで行われていた教育リーグに参加。同氏がチームに同行してみると、すでにアメリカではアイシング療法が主流だった。関心を持った各チームのトレーナーに効果のほどを詳しく聞いてまわった。答えは出ていた。「投げたあとの筋肉の炎症を抑えるためには冷やした方がいい」と-。いい治療法と出会えた。帰国後を考えいろいろ勉強してきたが、大変だったのは日本に帰ってからだった。

 帰国したのがオフシーズン。実行は翌年のキャンプからとなったが、いざ、本番になると拒否する投手が続出。どう説明しても答えは「NO」。特に主力の故・小林繁氏、江本孟紀氏等は絶対に受け付けなかった。根気と誠意。猿木氏懸命の説得。いい方向へ進み出したのは伊藤文隆氏、池内豊氏の「どうせ俺なんか、もう壊れている体だから」という積極的な協力があったから。徐々にだが広がっていった。いまや、当たり前になっているアイシングはこうして生まれた。同元トレーナーのひと言「あんなシンドかったことはなかった」が厳しかった過程を物語っている。人が良く何事もズケズケと言われるタイプ。相手がわがまま軍団(選手)苦労は並大抵ではなかっただろう。

 猿木氏のひと言、説得力は並大抵ではなかっただろう。投手だった私がその立場なら、やはり拒否しているだろう。氷で冷やす…前例もなかっただけに、信用するまでに時間がかかったと思う。

【本間勝】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「鳴尾浜通信」)