88年に日刊スポーツに入社し、社会・芸能担当から野球担当と続く取材生活の中で1度だけ警察官を呼ばれたことがあります。8月20日にオリックスの監督代行となった中嶋聡氏に関してのことでした。

97年冬。オリックスからFA宣言した中嶋氏は大リーグ入りを目指していました。「FA取材は難しい」というのはこの世界の常識です。立場上、その選手はどこにも所属していないので本人以外、取材するところがないからです。

現在では代理人、所属事務所にコメントを要請するなどの取材が多いようです。しかし当時は取材したい人がいれば、とりあえずはそこへ行くというスタイルでした。今でも基本はそのはずですが少しだけ洗練されてきているということでしょうか。

それはともかく大リーグ入りを目指す中嶋氏は代理人も外国人でしたし、とりあえず本人をつかまえないと、ということで連日連夜、中嶋氏の自宅周辺に出没しました。

中嶋氏が在宅していれば顔を見せてくれ「まだ何も決まってないですよ」などと答えてくれるので、やはり行ってしまいます。

しかし、なにしろ野球選手の住まいですから高級住宅地の中にあります。複数の記者が来ても別に騒ぐわけでもないのですが、なんだかよく分からない人間が、それも複数、しょっちゅうウロウロしていたら住民の方々にすれば怪しむのも無理はない。ある日、数人の制服警察官がやってきました。

「何をされているんですか?」。いわゆる職務質問です。「すんません、付近の方には迷惑をかけないようにしてるつもりなんですが…」と説明すると「それはご苦労さまです」と敬礼し、去っていきました。

先ほども書きましたが現在は選手の自宅に出向く取材というのは、アポを取っていない限り、ほとんどないと思います。特にいまはコロナの問題があるのであり得ません。

当時もそういう部分はあったのですが、FA取材だけはそれが発生し、本当に難しいなあと思ったことが記憶に残っています。

最後の阪急戦士でもある中嶋氏。当時は愛称の「サメ」と呼んでいました。オリックスは苦しい状況が続きます。監督だけの力で何かを変えるのは難しいのも事実。しかし黄金時代の主力選手として、田口壮氏らと協力し、チームを立て直してほしいと願っています。