今回は「練習」について書く。そして「努力は報われる」ことに触れる。

プロ野球選手(野球に限ったことではないが)はよく練習する。しかし、それが結果に出るケースはまれともいえる。その中の成功例を思い出す。古い話で申し訳ないが、まず広島の山本浩二の例である。山本は田淵幸一、富田勝とともに法大三羽がらすとしてプロに入った。地元広島にドラフト1位で入団。だが思うようなスタートは切れなかった。田淵、富田は評判通りの働きだったが、山本は違った。まったくバッティングが通用しなかった。

悶々(もんもん)とした日々が続いた。確か3年目を迎える秋…。秋季キャンプで毎日、バットを振り続けた。横を見ると衣笠、水谷、三村が同じように、ガムシャラにバットを振っていた。

手のひらの皮がめくれ、痛みが手と心に染みた。宮崎日南の空が暗くなった時、「あの1球」が打てた。力みなく、自然に振ったバットから、まったく衝撃が伝わらなかった。「エッと思った。ヘッドが抜ける…という感触。あれは忘れられないし、忘れてはいけないものやった」。後年、山本から聞いた運命の1球だった。

ゴルフをする人なら、わかってもらえるはず。クラブのヘッドが走り、ジャストミートした感触は、衝撃がなく、ボールが遠くに飛んでいく。あの感覚を山本はもがきながらつかんだわけだ。

以来、山本はジャンプアップした。「ミスター赤ヘル」の地位を作り上げ、カープのレジェンドとなった。「練習はウソをつかない。練習は報われる。それがわかった」とつぶやいた。

次は阪神のレジェンド、掛布雅之の話だ。これは実際に見て、取材したことなのだが、掛布は若い頃、毎夜、寮を抜け出した。甲子園に隣接する「虎風荘」を出て、自転車で近くに流れる武庫川に向かった。バットとグラブを携えて、毎夜、ひとりで練習を繰り返した。武庫川の土手、上に阪神電車が走っていた。僕は邪魔をしないように、距離を置いて見ていた。「ハッ、ハッ」。掛布の独特の呼吸法が聞こえてきた。さらにグラブを持つと、ボールを壁に投げ、返ってきたボールを捕球する練習を繰り返した。

「何かしないとダメだと思っていた。気休めかもしれないけど、続けていけば、必ず結果がついてくると信じていた」。

いつしか彼の夜の練習姿は有名になっていた。ある時、阪神電車で通勤する友人につげられた。「電車の窓から見ていたら、ひとりで練習している男がいるんだ。高校生なんかな。毎日、毎日や」。掛布はそれを「自分」であることを隠した。「へー、そうなんだ」。練習熱心な男は、そんなエピソードを作った。

金本知憲も妥協しなかった。あれほどの実績を積み重ねても、満足はしない。例えばシーズン中。試合が終わり、金本の取材に走る。トラ番が待ち構える。でもいつまでたっても出てこない。金本は室内練習場にいた。そこから試合後の練習が始まる。ゲームで気になったことを、練習で修正する。疲れていても、この動きは変わらなかった。

トラ番が締め切りがあるため、あきらめて引き揚げていく。僕は時間的な余裕があるものだから、ずっと待った。そこに汗をしたたらせ、金本が現れた。「あっ、タクミさん。コラムですか? 何を聞きたいんですか?」。こんなやりとりを何度、したことか。金本は休息より練習を大事にした。それを続けたからトップクラスの力を維持し、長く現役を張ることができた。

こういった類いの話は本当にたくさんある。それを総合すると、「いい選手」は間違いなく努力を続けたということに行き着く。そこに結び付けたいのが阪神の佐藤輝。僕はそう思っている。

今年の秋季キャンプ。新監督の岡田彰布にガツンとやられた。伸び悩む姿に「(レギュラーは)わからへんよ」とまで言われた。ここまで酷評されたのは、彼自身、初めてのことだろう。そして、これをどう聞くか。佐藤輝の前途の分かれ道になる。

岡田はそうは言っても、佐藤輝をレギュラーで起用する。ただ、今のままなら、ジャンプアップできないし、チームを背負えるプレーヤーになれない。そういう警鐘を鳴らしたのである。

大きく広がる可能性に満ちた大器である。だからこそ、停滞してもらっては困る。彼なりに練習、努力は怠っていないとは思う。ただ印象的な出来事があった。今季限りで引退した糸井嘉男が大学(近大)の後輩である佐藤輝に送ったメッセージ。「もっと練習しないと」的な中身だったと思う。冗談のような口調だったけど、それは真剣な内容だと、僕は感じた。糸井もまた練習で作り上げた選手だった。だから後輩には冗談めかした苦言になった。それを佐藤輝はどう受け止めるのか。本当の大物になるかどうか。早くも分岐点にきた。(敬称略)【内匠宏幸】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「かわいさ余って」)