大昔を思い出した。いまから44年も前のことだ。1980年の3月。その時の阪神の監督はブレイザー。彼はかたくなにビッグルーキーを試合に使わなかった。ドラフト1位の岡田彰布に対して、本当に冷たい対応に終始した。

阪神ファンは声を上げる。「岡田を使え!」と騒ぎ、関西のマスコミもブレイザーに迫る。「どうして起用しないのか?」「考え方を聞かせてほしい」。当時、日刊スポーツのトラ番だった僕も、執拗(しつよう)に食い下がった。

ある時、ブレイザーはゲンナリした顔つきで、囲み取材の中、僕を見た。そして着ていたグラウンドコートを脱ぎ、僕に渡してきた。「そこまで言うのなら、キミがこれを着ればどうだい」。ブレイザーのキレ方のひとつの表現だった。「起用法は監督が決めるもの。どうこう言われたくない」。

中日対阪神 9回表阪神無死一、三塁、空振り三振に倒れる佐藤輝(3月15日撮影)
中日対阪神 9回表阪神無死一、三塁、空振り三振に倒れる佐藤輝(3月15日撮影)

44年後、岡田がブレイザーのような立場になっていた。3月16日のオープン戦の試合後。出場しなかった佐藤輝についてトラ番から問いかけが続いた。対して岡田は「試合に出さなかっただけのことや。起用法についてまで、言われたらかなわん」。明らかに不機嫌に言い放っている。

その前日に絶好機で三振に終わった。「バットに当てさえすれば、何かが起こるのに、三振したら、何も起きん」。佐藤輝をバッサリと切った。そして翌日は起用なし。この一連の動きに、僕は昔をつい思い出していた。

この話、続きがあった。17日の中日とのオープン戦。佐藤輝は3安打を放っている。当然、スポーツ紙は大きく扱う。上げては下げ、下げては上げる。僕も若い頃、同じように記事にしてきた。

ブレイザー監督の指導を受ける岡田(80年撮影)
ブレイザー監督の指導を受ける岡田(80年撮影)

これらを客観的に見ながら、ある投手のことが頭に浮かんだ。藤浪晋太郎のことだった。1年目から結果を残し、順風満帆、キャリアを積むが、そこから下がる一方だった。あれだけの力がありながら、なぜ? どうして? 技術的な問題はあっただろうが、実態は解明されないまま、藤浪は大器のまま、阪神を去り、海を渡った。

佐藤輝には、そうなってほしくない。岡田は佐藤輝にとりわけ厳しく接する。これは大きな期待の裏返し。「あのポテンシャルはすごい。阪神のバッターで、甲子園を本拠地にして3年連続20本以上って、これはたいしたもの。力がないと残せない記録よ」と認める発言を何度も岡田から聞いた。

岡田はブレイザーに使ってもらわなかったけど、佐藤輝は岡田に使ってもらえる。その理由は佐藤輝に力があるから。その力をいかに表現させるか。岡田の頭にはそこしかない。だからあえてこの時期、試合に出さないことも、方法のひとつと考えている。

大げさかもしれないけど、プロ4年目は佐藤輝の分岐点になるのでは…とみている。ここで右肩に上がるのか、それとも下がるのか。かつての藤浪が好例である。【内匠宏幸】(敬称略)