3月-。新型コロナウイルス感染拡大の影響で卒業式を中止する大学が相次いだ。そんな中、1人の球児が兄に向けてメッセージを送った。


『お兄ちゃん、卒業おめでとう。そして、14年間お疲れ様でした!小さいころから、何をするにも一緒で、昔はよく2人で練習めっちゃしたな(笑)。大学は厳しい亜細亜大学で4年間やり通した。試合出場の機会にはあまり恵まれなかったかもしれないけどお兄ちゃんらしい野球人生だったと思う! 何事も、粘り強くあきらめない。僕は、尊敬できる兄を持ちました。本当にお疲れ様!章吾』


メッセージの主は、慶大の福井章吾捕手(2年=大阪桐蔭)。今年、亜大を卒業した兄・慎平(4年=尾道)に宛てたものだった。慎平は、大学卒業を機に14年間続けた野球を辞め、実家の稼業を継ぐことを決め、4月から新たな春を迎える。


2歳離れた兄弟。光と影に見える野球人生にも、それぞれに解き放つ「光」があった。


小さいころからいつも一緒の仲良し兄弟だった。慎平が小学2年で友達に誘われ野球を始めると、幼稚園だった章吾は兄を慕いすぐに野球を始めた。右打ちの兄と左打ちの弟。いつも向かい合い、自宅の庭でスイングの練習。夏休みは、お互い励まし合いながら1日1000回の素振りをした。いつしか、2人はライバルとなり、それぞれの野球人生を歩み始めた。慎平は、地元・大阪を離れ尾道へ。一方、章吾は、強豪・大阪桐蔭へ進学した。


「兄のプライド」が慎平を成長させた。「弟には絶対に負けたくない、悔しいと思っていました」と振り返る。甲子園出場を目指し野球留学をしたが、レギュラーを獲得することができず。その後、亜大に進学するも高いレベルに圧倒された。一方、章吾は高校2年春のセンバツで甲子園出場し背番号18でベンチ入り。「素直に負けを認めないと、自分も前に進めない。ずっと弟と張り合っていたらダメだ」と言い聞かせ、ブルペンキャッチャーに転向。下級生としては異例の、ブルペンを任される存在になった。

大学2年春になると、章吾は大阪桐蔭の主将としてセンバツ優勝を果たし、一躍全国の注目を浴びる存在になった。

「弟の知名度が上がると、“章吾の兄”って見られる。比べられて嫌だな、と思うこともありました」。

「お前の弟、スゴイな!」

何度も声をかけられた。

「だろう? ありがとう!」

精いっぱいの笑顔で返したが、心の中は喜びの半面、悔しさが入り交じる。そんなとき、いつもブルペンで投球を受けていた1つ上の先輩・山城大智投手(現トヨタ自動車)が声をかけてくれた。

「下級生なのに、毎日一生懸命に俺たちの球を受けてくれる。お前にはお前の役割があって、俺たちはみんな助かっているんだから、頑張れ。お前は亜大の誇りだよ」。

僕には僕の役割がある。僕の居場所はここなんだ。

「僕のことをわかってくれている人がいる。本当にうれしかった。それからは、弟の活躍を受け入れることができて、素直に応援できるようになりました」。

ブルペンキャッチャーを全うすると誓った。練習では1日1000球近く球を受けることもあったが、いつも元気な声で盛り立てた。3日でミットのひもが切れることも。毎晩、ミットの修理をしながら「明日もピッチャーが気持ち良く投げられるように。いい音が出ますように」と念入りに磨き上げた。リーグ戦に入ると、相手チームの分析をした上で、投手を仕上げる。普段から、積極的にコミュニケーションをとり、性格も把握し試合につなげた。先輩だろうと、ブルペンの責任者として思ったことは口にした。

「ちゃんとやれよ」

「言い訳するな。打たれたのはお前ちゃうんか!」

時にはぶつかるときもあったが、本音をぶつけあった分、信頼関係ができた。打たれて下を向く投手に「練習しよう」と声をかけ、納得がいくまで球を受け続けた。高橋遥人投手(阪神)、中村稔弥投手(ロッテ)。そして、今年、プロ注目の内間拓馬投手(3年=宜野座)、平内龍太投手(3年=神戸国際大付)と好投手がそろうチームの陰には、慎平の存在があった。


慎平には忘れられない言葉がある。大学1年でブルペンの責任者を任されたとき、生田勉監督(53)に言われたことだ。

「お前にはブルペンを任された責任がある。どんな理由があろうとも、その責任を受け入れなければダメなんだ」。

『責任を全うする』その思いでブルペンを守り続けてきた4年間。「すぐに熱くならず、常に冷静に周りを見られるようになった。精神的にも強くなりました。これは、今後、経営者を目指す自分にとって、一番の勉強になった。社会に出ても通用すると思います」と胸を張った。


決して諦めず、苦しくとも歯を食いしばり、努力し続けてきた。スポットライトを浴びる野球人生ではなくとも、その14年間の野球人生は「兄のプライド」で光輝いていた。

「弟とは大学も違うし、野球スタイルも違う。でも、僕は14年間、野球をやりきったことは誇れる。僕の一番の武器ですね」と、笑顔を見せた慎平。令和2年春、弟からの最高のメッセージを胸に、今、新しい道を歩き出す。