近鉄や阪神でプレーした中村良二監督(49)が率いる天理が、2年ぶりの甲子園を決めた。就任2年目でつかんだ聖地。「甲子園を目標にやってきました。3年生が1日でも長く野球できるようにサポートしたい」と感激はひとしおだ。天理の4番兼主将で86年夏の甲子園で全国制覇。その後近鉄、阪神でプレー。元猛虎戦士が監督として甲子園に帰ってくるのは初めてだ。

 現役時代は珍しい左投げ右打ち。だが大砲と期待されたが1軍定着できず、29歳で引退。妻と子ども2人を養うために、会社員として再出発した。そんな中、知人の紹介で少年野球チームの監督就任要請を受けた。妻は「あなたから野球を取ったら何も残らない」と背中を押してくれた。後に天理大の指揮官も務めた中村監督は、「引退した時は金銭的に苦しかった。でも妻が僕の良き理解者だったから、指導者としてまた野球をやれた」と感謝した。

 投手経験がないため、近鉄時代の先輩、山崎慎太郎氏(51)に週1、2回、指導してもらっている。プロのパイプも生かしつつ、打者は自分の手で育てる。代表格が“天理のバレンティン”の異名を持つ、神野太樹外野手(3年)だ。

 「4番らしい振る舞いをしてほしい」と厳しく接することもあった。今春のある試合で内角速球をのけ反るように避けた。「お前がそんなんでどうするんだ!」。4番なら内角の厳しい球にも踏み込め。神野はこの日、1点リードの3回に追加点の適時打。試合を優位に進める恩返しの一撃で、成長を見せつけた。

 いよいよ甲子園に乗り込む。阪神時代は1軍で活躍できなかった聖地。「強気な采配をしていきたい」。元トラ監督が、晴れの1勝を目指す。【山川智之】

 ◆中村良二(なかむら・りょうじ)1968年(昭43年)6月19日、福岡県生まれ。天理で86年夏に主将兼主砲として全国制覇。同年ドラフト2位で近鉄入団。阪神に移籍した97年限りで引退。プロ通算は41試合で打率9分8厘、4打点。引退後は会社員をしながら、少年野球の監督を務め、08年8月に天理大監督に就任。14年から天理のコーチを務め、15年秋に橋本武徳氏から監督を引き継いだ。

 ▼元プロ選手が監督として帰ってきた甲子園 日本学生野球協会の審査により、研修などで資格回復が可能になった1984年(昭59)以降、元プロの甲子園出場監督は、常葉学園菊川・佐野心(中日、08年夏)、早鞆・大越基(ダイエー、12年春)、九州国際大付・楠城徹(西武、15年夏)、市尼崎・竹本修(阪急・オリックス、16年夏)、帝京五・小林昭則(ロッテ、17年春)ら過去9人。阪神でプレー経験のある元プロ監督が甲子園に出場するのは天理の中村氏が初めて。