夏の甲子園に県内最多10回の出場を誇る中越は、第100回を迎える記念大会で2年ぶり11回目の出場を狙う。チームをけん引するのは強肩、強打の坂井翔太遊撃手(3年)だ。打線の3番に座る中心打者。1年の夏に三塁側スタンドで応援した大舞台に今夏、足を踏み入れる決意だ。

 胸まで汚れたユニホームが、練習に取り組む坂井の真剣な姿勢を表していた。ノックを受け始めた時は真っ白だった練習ユニホームは打撃練習に移る時には土まみれ。手抜きを一切しないのが3番、遊撃手の真骨頂だ。「100回の記念大会に出場するのは中越しかない。その甲子園で勝つことが使命だと思っている」。強い決意が厳しい練習に向かう原動力だった。

 「私がここで指導してきた中では一番の野手」と03年秋から監督を務めている本田仁哉監督(41)は坂井を高く評価する。「スイング、打球の速さ。守備の動き、肩。走塁。高校生として一級品」とまで言い切った。1年秋の3回戦からレギュラーを張ってきた中心選手。「有利なカウントになったら遠くに飛ばすことを意識する」と打線の中軸は長打が持ち味だ。今春の4回戦・村上桜ケ丘戦では1試合2本塁打を放った。爆発すると手がつけられない。

 中越が10度目の甲子園に出場した16年夏は三塁側スタンドで応援していた。1回戦の富山第一戦。視線の先には2年生ながら3番右翼で先発出場していた兄琢真(19=現新潟医療福祉大1年)がいた。「兄のプレー、ひとつひとつに緊張した」と一緒にグラウンドにいる気分になった坂井は今夏、実際のグラウンドに立つために全力を尽くす。兄は3打数無安打で、チームは0-1で9回サヨナラ負けした。「甲子園で長打を打ちたいと思った」。その思いをバットで切り開く。

 「個人の力をつなげ、全員が束になって戦いたい」と坂井は一丸で勝利を目指す構えを見せた。新発田市出身で寮生活。「大会前になると毎回、実家の母から“決して誇らず、謙虚に”という同じ言葉のLINEがくる」とそのフレーズをかみしめ、ひた向きにプレーする。左右の握力58キロのパワーでバットを握り、目標に向かって打席に立つ。【涌井幹雄】

 ◆坂井翔太(さかい・しょうた)2000年(平12)11月25日生まれ。新発田市出身。新発田リトルシニア出身。紫雲寺中から中越に進学。1年秋からベンチ入りする。昨夏の県大会決勝は4番の兄琢真と3、4番コンビを組んだが、日本文理に4-6で敗退。好きな選手はMLBエンゼルスのアンデルトン・シモンズ内野手。右投げ右打ち。176センチ、73キロ。