100回目の夏、旭川大高が甲子園一番乗りを果たした。北北海道の決勝でクラークを5-3で振り切り、全国56代表のトップを切って節目の大会出場を決めた。

 通算では8度目の出場となり、同校が持つ北北海道勢の夏甲子園最多出場回数を9年ぶりに更新した。高校野球では“シンボル”のようになっている「丸刈り頭」を昨春から禁止。選手が何ごとも自ら考え、実践することがプレーにも好影響となり、勝利を勝ち取った。

 接戦を制し、歓喜に沸く選手がいるベンチの裏で、端場雅治監督(49)が、しみじみと口にした。「長かったです。勝ててよかった」。5回に2点先制したが6回に追いつかれるなど、なかなか流れをつかめない。だが、監督にも、選手にも、スキがなかった。9年ぶりにつかんだ聖地。青木主将は「全員が高い意識でできたことがこういう形になった」と言った。端場イズムが実を結んだ瞬間だった。

 選手には2つの課題があった。その1つを象徴するのが、昨春導入した「丸刈り禁止」だ。09年以来、聖地から遠ざかり、端場監督は「同じことをしていてもマンネリ化してしまう。何かを変えたかった」という。野球をする上で、髪の長さ、髪形はどうすれば良いのか。自ら考え、決断することで自立心が身についた。一方で厳しい規律も残された。眉毛は少しもそってはいけない。用具を忘れるなど、野球に直結することは指導陣が厳しく目を光らせた。個の成長と組織として戦う規範。両輪を磨く作業だった。

 端場監督が15年前からまいてきた種も開花した。2-2の8回、3得点の口火となる左中間二塁打を放つなど5打数4安打の高谷は、小学1年からの3年間、監督が指導する「ちびっこ野球」の教え子だった。地域の野球の「根っこ」を育てる取り組み。高谷は当時から「甲子園1勝は俺らの代で」と言い続け、高校は迷わず旭川大高へ。そんな“再会”した教え子とつかんだ夢舞台に、端場監督は「思い返すと懐かしい。(教え子が)野球を続けてくれて、今こうなったことに感慨深く感じる」と頬を緩めた。

 100回目の記念大会に、一番乗りで出場を決めた。端場監督は「何かいいことあればいいですね。(一番乗りだから)日程を選べるとかね」と周囲を笑わせ、真顔で「(自身は過去4度の)甲子園で勝てていない。勝ちたいですね」と続けた。選手も同じ気持ちだ。「甲子園で勝つために1年生からやってきた」と青木主将。聖地行きの切符は、まだ1つの通過点に過ぎない。【山崎純一】

 ◆旭川大高 1898年(明31)創立の私立校。特別進学コース、スポーツ教育コースなどがあり、生徒数457人。野球部は64年創部で、部員は62人。甲子園は夏7度出場で80年の3回戦進出が最高。主な卒業生は元近鉄の鈴木貴久(故人)陸上男子400メートルリレーの北京五輪銀メダリスト高平慎士。所在地は旭川市永山7条16丁目3の16。阿部敏校長。