社会人野球を経験した3代監督の絆が一貫強化の根幹になった。秋季全道高校野球で初優勝した、札幌大谷の初代監督・太田英次氏(51=札幌大谷中、高、大学総監督)、2代目の五十嵐友次郎氏(46=札幌大谷中コーチ)はいずれも社会人野球の大昭和製紙北海道出身。NTT北海道などでプレーした船尾隆広監督(47)とは旧知の間柄だった。人柄までを熟知する人材を迎え入れ、船尾体制後も大学や中学の指導陣としてバックアップ。密な連係で躍進の土台を築いた。緊急連載「札幌大谷V 実りの秋」では、複数の観点から同校強化の背景を取り上げる。

札幌大谷優勝の瞬間をスタンドで見届けた初代監督の太田氏は、感慨深げだった。現在は中、高、大学総監督として、船尾監督をバックアップしている。創部からの10年を振り返り「高いレベルで選手を指導してくれたおかげ。船尾監督就任は甲子園を目指す学園として期待の人事だった」と話した。

大昭和製紙北海道出身の同氏は、サンワード貿易(ともに解散)でもマネジャーを務めた。01~03年に同社の補強選手として都市対抗野球に出場した、NTT北海道時代の船尾監督とは旧知の間柄だった。自身が札幌大谷監督に就任した09年、既に引退し社業に専念していた船尾監督を、札幌大谷中の外部コーチに招いた。丁寧な指導が評価されて12年4月には同学園の職員へ。太田氏は「大きな会社をやめることになる。かなりの決断だったはず」と話すが、船尾監督は「野球に関わる仕事に携われるのはありがたいこと」と意気に感じたという。

14年4月には、2代目監督の五十嵐氏からバトンを受け、高校の3代目船尾監督が誕生。中高大総監督の太田氏、中学の指導者となった五十嵐氏とは、月1度のスタッフミーティングで情報を共有し、世代間の壁を取っ払った。決勝でも活躍した石鳥亮外野手(2年)、太田流星投手(2年)らは同中出身。一貫した指導方針のもと育成されてきた。また社会人時代は兼任コーチでもあった船尾監督は、中学世代までの幅広い指導経験から「世代が下がるほど、わかりやすい説明と、ケガ防止への気配りが重要」。複数のカテゴリーを通し培った柔軟な教え方や、体のケアに対する知識も、チーム強化の土台になった。気心知れた3代の監督がスクラムを組んだ結果が、10年目での秋制覇につながった。【永野高輔】

◆船尾隆広(ふなお・たかひろ)1971年(昭46)5月31日、松前町生まれ。函館大有斗では87年夏、88年春に2季連続甲子園出場。90年に旧新日鉄室蘭入りし、外野手としてプレー。野球部休部にともない95年にNTT北海道転籍。補強選手も含め、94~03年に10年連続都市対抗野球本大会出場。97年インターコンチネンタル杯日本代表。12年4月に札幌大谷学園職員となり、14年12月に札幌大谷高監督就任。家族は夫人と1男1女。173センチ、68キロ。右投げ左打ち。