日大三が18年以来4年ぶりの夏の甲子園切符をつかんだ。

2点を先行されたが、6回に川崎広翔捕手(3年)の右前適時打、松藤孝介投手(3年)のスクイズで逆転した。「投打の柱」が不在で迎えた今大会だが、チーム一丸の「つなぎの打線」で、6戦74得点と積み重ね、頂点に立った。

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同点に追いついた6回1死一、三塁。松藤は3球目のスクイズを成功させた。重圧のかかる場面だったが、投前にきっちりと転がし、貴重な勝ち越し点を奪った。小倉全由監督(65)は「去年の秋はみっともない試合をしたが、(今夏は)結果を出してくれた」と、選手の成長に目を細めた。決勝点のスクイズに、今年の日大三野球が凝縮されていた。

指揮官が「みっともない」と振り返ったのは、昨秋の都大会準決勝。国学院久我山に、3-14で5回コールド負けを喫した。主将の寒川忠内野手(3年)は当時、「今の思いを文章にしよう」と提案。おのおのが原稿用紙に悔しさをつづり、心に刻んだ。

道のりは険しかった。今春まで背番号1だった右腕の矢後和也投手(3年)がケガで出遅れ、今大会は登板なし。4番の浅倉大聖内野手(3年)も6月の練習試合で膝を負傷し、初出場が5回戦だった。

「投打の柱」が不在で大会を迎えたが、寒川の「全員がやるべきことを徹底しよう」の言葉に、チームは結束した。春の大会以降は早朝6時からバント練習を継続。つなぐ姿勢を徹底するとともに、大会直前には、各自が昨秋の作文を読み返し、気持ちを奮い立たせた。

6試合で3本塁打だった一方で、バントも絡めて74得点と積み重ねた。優勝が決まった瞬間、寒川はぼろぼろと涙をこぼした。「やってきて良かったという感情があふれ出た」。舞台は、甲子園へ。「監督さんのためにも、一番長い夏にしたい」。憧れの地で、うれし涙を流すつもりだ。【藤塚大輔】

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