下関国際(山口)の春夏通じて初の甲子園優勝はならなかった。17年夏の初出場から春夏合わせて5度目の挑戦で初めて進んだ決勝だった。

1年前。チームはどん底に落ちた。夏の山口大会で初戦敗退。新チームで迎えた秋季中国大会の準々決勝では、広陵(広島)に8回まで「ノーノー」を食らって完敗した。大舞台での屈辱的な敗戦に、ナイン全員が目を腫らした。鉄仮面のエース古賀康誠投手(3年)も、入学以来初めて泣きじゃくった。「あれは、最悪の雰囲気でした」。選手たちはそう口をそろえる。

実に5時間に及ぶミーティングが開かれた。寮の食堂で午後2時から午後7時まで。坂原秀尚監督(45)の顔も険しかった。口を開くのも一苦労だった精神状態で「お前たちを強くしたい」と熱弁した。その言葉に、また全員が涙を流した。

そして“改革”に着手した。早朝5時半から約2時間行ってきた朝練習を廃止。日中の練習に全力を注ぎ、夜間90分のウエートトレーニングに時間を割いた。規則正しい生活、栄養と睡眠の尊さに気づいた。甲子園優勝を目指すチームとしては異例の決断だった。坂原監督は「何かを変えなければ先には進めない」と思ったという。

幕末期に明治維新の中心となった山口・長州藩のように“改革”は奏功した。選手のほとんどが体重10キロ弱まで増やせ、睡眠不足も解消。授業の集中力も高まった。どん底を経験したチームが、見違えるように変わった。

秋春夏の制覇を狙った優勝候補の大阪桐蔭、春の準優勝校・近江(滋賀)を撃破してきた。今大会のダークホース。優勝旗には手が届かなかったが、連日にわたって聖地を沸かした。【只松憲】