山梨学院の県勢として春夏通じ甲子園で初めての優勝を、山梨県高野連の庄司和彦理事長(58)は「うれしいですが、信じられない気持ちもあります」と、特別な思いで見守った。

山梨県として、ここまで長い道のりだった。「山梨県は野球後進県でした」。

甲子園、春夏を通じ決勝に進んだことがない4県(山形、富山、島根)の1つだった。どちらかといえばサッカーが盛んで、韮崎は強豪校としても知られている。「プロ球団(ヴァンフォーレ甲府)もあり、サッカーの方が全国で成績が出ているんです」。

一方の高校野球といえば、1915年(大正5)から始まった甲子園に、甲府中(現在の甲府第一)が初めて出場したのは、20年後の1935年(昭和10)第21回大会のこと。「野球で大きな結果を出した年代がない。4強進出は32年前のことで、それで満足することが多かった。だからでしょうか。昭和の時代から、甲子園出場、あるいは1勝することが目標、という学校が多く、目標設定が低くなっていた。力はあるが大舞台に出ると普段と全く違う野球をやって自滅して負けることが多かったんです」。

山梨学院も、近年は県内で断トツの強さを誇り、1994年センバツに初出場以来、昨年まで春夏通じて15回出場も、初戦突破は4回。いずれも2回戦で敗戦している。吉田監督も「このチームよりも、昨年のチームの方が強かった」と、話している。(昨年は春、夏ともに甲子園出場も、初戦敗退)

庄司理事長は、山梨学院の快進撃は初戦が原動力になったと言う。「力は出し切れていないと思うんですが、それでも開会式の後の開幕戦という特別な環境の中、僅差で勝ちきれた。また、昨年の甲子園経験者が多い。その差なのでは」。吉田監督もまた、準決勝前の取材で「自分たちの持っているものを出せるようになってきた」と、話していた。選手たちの成長もあったが、大舞台で普段通り戦える。それが、優勝への足がかりになった。

ではなぜ、山梨県のチームは、大舞台で力を出し切れなかったのかー。庄司理事長は「山梨県は山に囲まれている。井の中の蛙(かわず)みたいな県民性があったのかな。他県のレベルを知らずにやっていたところがあるのかも」と分析した。

今回の優勝で県内の高校も士気が上がる。「山梨学院に勝てば、全国でも勝てると思って練習すると思うんです。県の野球がどう成長するか。これからが楽しみです」と期待した。山梨学院の優勝は、県の野球の活性化へ、大きな影響を与えるに違いない。【保坂淑子】