太成学院大高(大阪)の平田真空(まくう)内野手(3年)は最後まで笑顔を貫いた。相手校の校歌を聴きながら、隣で涙する仲間の背中をさすり続けた。1人、前を向く姿は母のようだった。

夏の大会を前に平田は大きな存在を失っていた。女手一つで育ててもらった母妙子さんだ。明るく、ポジティブで選手とも仲が良く、自宅に招いて食事を共にしたり泊めることもあった。

ところが、くも膜下出血で突然倒れ、先月11日に入院。「急だったのでパニックだった。頭が真っ白だった。とにかくすぐに生き返ってほしい」。一度は意識が戻ったが、再び悪化。同26日、岡本正一監督(40)らの計らいで、特別に1日早めて病室の母の前で背番号13をもらった。「お母さんが最後に僕に大きなプレゼントをしてくれた。夏の大会まで持ってくれ…」。願いは通じず、翌日、母は45歳で帰らぬ人となった。

喪主もつとめあげた。自宅近くの叔母の家に、妹とともに身を寄せた。身辺が落ち着かぬまま、今月10日から練習に復帰。部員とも親しかった母の突然の訃報に部員にも衝撃が走ったが、本人は周囲に「気を使うなよ」と普段通りに接した。

この日はベンチスタート。「格好良く、はつらつとしたプレーで、いいところを見せようと。お母さんのことを思ってプレーしました」。伝令としてマウンドへ行った際は「暗くならず、気が楽になる言葉を意識した」と笑顔を絶やさなかった。

出番が訪れたのは6回。1点を返し、なおも2死一、二塁で代打で右打席に入った。「スタンドにお母さんがいると思って、いつものように下を向くことなく、来た球をしっかり打とうと思った」。5球目を右方向に鋭い打球。右翼手にキャッチされたが、下を向くことはなかった。

その後もベンチから声を送り続けた。ゲームセットの瞬間まで、ベンチ最前列からファイティングポーズを示し続けた。試合には敗れたが、「お母さんのようにポジティブに暗くならずにやれた」と表情は明るかった。

18日前に急逝し、天国で見守る母へ白星は届けられなかった。それでも胸を張って報告できる。「負けたけど、全力でプレーできて、後悔はないよ」。母のように前向きに明るく最後まで戦い抜いた。【林亮佑】

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