100年を迎えたセンバツが18日、開幕した。敗れて甲子園を後にする敗者には、今夏の甲子園へとつながっていくドラマがある。「涙は夏のため~新しい夢のため~」と題し、さまざまな角度から敗れたチームの物語を紡ぐ。

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関東第一の畠中は降板後、アイシングをしながらベンチから身を乗り出した。「(2番手の坂井は)すごく緊張していたので、少しでも投げやすい場所をつくってあげたいなって」と声を張り上げ続けた。

背番号1の左腕は、立ち上がりから丁寧に制球した。だが、7回2死満塁で同点打を浴びた。リードを守れないまま、8回から背番号10の坂井に託した。「踏ん張りきれなかった。エースとしてふがいないです」と、7回5安打1失点にも笑顔はなかった。

小学生の頃、関東第一とは“運命の糸”で結ばれた。学校がある東京・江戸川区出身。3年生のとき、近くの公園に通りかかる野球部のお兄さんたちは、いつも優しくあいさつをしてくれた。その中に、ひときわオーラを発する人がいた。実は、ちょっぴり「怖い」と圧倒されもした。「すごく大きかったです」。

オコエ(現巨人)だった。その年の夏。甲子園を沸かすスターとなり、楽天ドラフト1位でプロへの道を切り開いた。「甲子園に行けるチームなんだ」。入学を志すきっかけとなった。

あれから9年。同じユニホームを着て、エースになった。「チームを勝たせる投球がしたい」。このままじゃ終わらない。先輩のように、最後の夏でブレークする。【佐瀬百合子】

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