今大会初めて、スコアボードのスピードガンに「150」が計測された。高崎健康福祉大高崎(群馬)の石垣元気投手(2年)がマークした。

3回1死三塁、星稜の4番萩原への初球が150キロだった。高く浮いてのボール球。「力んで上ずるのが心配」と青柳博文監督(51)が話していたように、ボール球が目立つケースもあったが、7回4失点でなんとかまとめた。

赤堀佳敬コーチ(30)は前日「何とか石垣がしっかり投げてくれれば」と願い「石垣が“石垣島”のようになってくれれば勝てます」と話していた。それくらいスケールが大きく、見とれるような投球を-。そんな思いをジョークに込めた。

北海道・登別出身の石垣を初めて見たのは、日本の反対側だった。沖縄・久米島で行われた中学硬式野球の大会に北海道選抜として出場していた。雨の降る中、120キロ前後の力のある球を投げ続けた。青柳監督とも「(素質の良さは)間違いないですね」と共通認識を持った。

練習設備が充実する同校は、中学生の人気を高めていた。石垣も、そこにほれた1人。母美樹さん(45)は「私は当初、北海道にいてほしかったんですが」と振り返るものの、石垣の決意は固かった。

よく寝て元気に育った中学生は、ライバル佐藤との出会いもあり、高校でより洗練されてきた。年末には“本当の”石垣島でキャンプを行い、石垣も下半身をさらに充実させた。この日の重圧を経験し、また一段階上へ行く。

念願の決勝進出。赤堀コーチにとっては「久米島で見た登別出身の石垣が“石垣島”になった」という1日だ。大会が終われば、同コーチは磐田東(静岡)の監督に就任する。別れは近い。石垣ら中学時代から知る選手たちの活躍に、目を真っ赤に染めていた。【金子真仁】

◆センバツの球速 150キロ以上を出したのは19年の奥川恭伸(星稜)、河野佳(広陵)以来。スピードガンが普及した80年以降、新2年生では13年安楽智大(済美)以来2人目。