高崎健康福祉大高崎(群馬)が悲願の初優勝を果たした。野球愛好会の顧問からスタートした青柳博文監督(51)も涙した。

優しい人だ。2月10日、千葉・館山市で行われた合宿の取材へ行った。

「創部したころは大変でしたね。お金もなかったし。そこでつらくなって高校野球の監督を辞めてしまう人もいるから、もったいないなって」

初対面ながら、丁寧に思い出話をしてくれた。監督は「じゃ、ゆっくりしてってください」と練習を見に行った。1時間後、私はグラウンドの死角でぼーっと眺めていた。遠くにいた青柳監督が部員に何かを指示している。2人ともこっちを見ている気がした。

その部員が笑顔で走ってやってきた。「監督さんが、先にごはんを召し上がってくださいとおっしゃってます!」。勝手に押しかけた初対面の記者を、遠くからわざわざ気にかけてくれた。優しい人だ。中華丼をいただいた。

熱心に選手を指導している姿はない。複数のコーチに任せている。

「コーチに分担して、会社のような形で組織的にやるってことで。いろんな意見を聞きながら。自分1人だと間違えが起きるんですね。裸の王様になっちゃうので。意見を言ってもらいたいんで、自分は。風通しのいい野球部にしたい」

苦労も多く、長かった。野球愛好会の顧問からスタートし、すぐに部員が辞めたり、ボイコットされたり。「生活指導面ばかりで、野球にたどり着くには正直5年くらいかかりましたね」と今だから笑える。

大型バスを運転できる免許を取った。全国の強豪校に電話をかけた。星稜(石川)に仙台育英(宮城)、どこまでもバスを走らせた。「弱いチームに、強い高校を見せたくてね。甲子園に出るような監督さんは断らないですよね。快く試合をしてくれました」と感謝する。「断られた高校は今も覚えてますけどね」とオチも忘れない。

コーチを信頼し、会社のような組織を目指しながら、自身のことは「社長まではいかないですね。部長くらいですね」と決して大きく出さない。

「選手がコーチの方を向いても良いんですよ。勝てれば。自分の方を向けとか、そういう気持ちは全くないんですよ。組織として、選手が勝って良い思いできればいいなってだけ」

そんな優しい人の、見えない努力が報われるのも甲子園だ。【金子真仁】