<高校野球岐阜大会:関商工5-0大垣商>◇28日◇決勝

 やりました~!

 関商工が、創部66年目の甲子園初切符をつかんだ。関商工のエース内城寛貴(3年)が、大垣商を7安打に抑え2試合連続完封で春夏通じて悲願の甲子園初出場を決めた。準々決勝で、大本命の大垣日大を倒したダークホースが、勢いそのままに岐阜67校の頂点に立った。

 最後の打者を左飛に打ち取ったのを見届けるとマウンド上の内城は、前沢陽一捕手(3年)とがっちり抱き合った。ベンチから飛び出してきた歓喜のナインに包み込まれた。準決勝の郡上戦から2試合連続完封を決めた右腕が、春夏通じて初の甲子園出場の立役者となった。

 春の東海大会優勝の大垣商打線に、1回から気迫のこもった投球を見せた。「球が走っていなかったので、前半はスライダーを中心に、後半はストレートで押していった」。8回のピンチには、ナインがマウンドに集まった。今大会から使い始めた「ハッピー」という合言葉をみんなで声をそろえて叫んだ。「笑顔でやろう」というチームスローガンにちなんだ魔法の言葉が、窮地を脱する力になった。

 スタンドで声をからして応援していた父勝さん(44)も、かつて関商工のエースだったが最高成績は3回戦どまり。父を越えていった息子に「出来すぎです」と目を赤くした。

 「勝って人生を変えよう」。試合前に北川英治監督(40)はエースに話しかけていた。いつものようにニコリと笑顔で返してきたのを見て「これなら大丈夫」と感じていた。北川監督は慶大時代、高橋由伸の1年先輩で二塁手として聖地・神宮を沸かせた。綿密なデータ分析が得意で、この日も2回裏、相手投手の球種を読み、意表をつくエンドランで先制点を呼び込んだ。

 ラグビー部は全国的に有名だが、野球部はまだまだ無名。佐藤辰海主将(3年)は「ここで勝っても、甲子園で勝てなければ意味がない」と満足はしていない。「野球の関商工」を聖地でアピールするつもりだ。【坂祐三】

 ◆関商工

 1943年(昭18)に設立の公立校。工業科、商業科があり、生徒数は599人(うち女子は340人)で部員は62人。野球部は46年(昭21)創部。主なOBは熊田曜子(タレント)武山哲也(ラグビー)綾野剛(俳優)ら。所在地は関市桐ケ丘1丁目1番地。松本勇次校長。

 ◆Vへの足跡◆2回戦9-3山県3回戦3-2海津明誠4回戦5-4多治見準々決勝6-5大垣日大準決勝2-0郡上決勝5-0大垣商