<高校野球長崎大会:佐世保実2-1長崎商>◇22日◇決勝◇長崎県営

 佐世保実(長崎)が延長10回サヨナラ勝ちで8年ぶり4度目の甲子園だ。2死二、三塁で5番の山口晃三塁手(2年)が三塁線へサヨナラ打。長崎商の右腕・楠田浩和(3年)と左腕・森内麟太郎(2年)のジグザグ継投を打ち破った。清水央彦監督(41)は、清峰のコーチとして06年センバツ準Vの実績があり、同校の監督就任3年目。スパルタ改革で甲子園へ導いた。

 無我夢中で走りながら「甲子園」が浮かんだ。延長10回2死二、三塁。内角のシンカーを振り抜いた山口晃は打った瞬間「あ、サードゴロ」。しかし、三塁手のグラブをすり抜けた打球を見届けると頭の中は「甲子園」で染まった。それまで4打席無安打。「迷惑ばかりかけた。絶対に打たないと」と気持ちを強くして臨んだ打席だった。先輩からも手荒い祝福を浴び「みんなベンチから走ってきてくれて。うれしかった!」と感激が押し寄せた。

 苦しい戦いだった。11安打で2得点が示すように、あと1本が出ない。1死一、二塁を2度併殺でつぶした。相手に流れが向いてもおかしくない展開を投手を中心とした守りで必死に防いできた。耐えて、踏ん張って「8年ぶり」を手にした。歓喜の胴上げ。育ててきた選手の手で背中を押された清水監督も、感無量だった。

 監督就任3年目。清水監督いわく「外科手術」を施した結果という。就任時に「『強くなりたいか』と聞いたら『甲子園を目指したい』と。ならば外科手術か内科手術か。外科でいきました」。コーチ、部長として清峰をセンバツ準Vの実績がある。その強化手法を用いた。端的に厳しく。清峰で取り入れていた丸太を担いでのダッシュなどで体力強化。細かい規則も決め「単調でもきっちりした野球」を目指した。練習時間も内容も濃度を増したが、それでも「清峰時代のMAXにいってない。8割程度ですよ」と言った。

 監督の狙いは確実にチームに浸透した。この日も2本のバント安打を含め、8度のバント機会をすべて決めた。「つまらない練習もいっぱいあったと思うが、選手はよくついてきた。これが自分たちの野球と思っているので」。派手さは求めない、勝つ野球を引っさげ、監督としては初の甲子園に乗り込む。【実藤健一】

 ◆清水央彦(しみず・あきひこ)1971年(昭46)2月23日、長崎県佐世保市生まれ。佐世保商では内野手で夏の最高は県大会3回戦。卒業後は日大へ。清峰ではコーチ、その後に部長、監督も経験して06年センバツ準Vなどに貢献。佐世保実の監督就任3年目。家族は夫人と1男。

 ◆佐世保実

 1966年(昭41)創立の私立校。普通科、総合ビジネス科、機械科、自動車工業科があり生徒数は600人(うち女子100人)。野球部は67年に創部。部員は65人。甲子園は春1回、夏は04年以来となる4度目の出場で、92年の3回戦が最高成績。主なOBはヤクルト川島慶三ら。長崎県佐世保市母ケ浦888の1。辰田幸敏校長。◆Vへの足跡◆2回戦12-0島原翔南3回戦2-1長崎西準々決勝4-1長崎日大準決勝4-3瓊浦決勝2-1長崎商