オリックスを戦力外となった原拓也氏(32)は現役引退を決断した。西武、オリックスと10年間のプロ生活だった。「足も速くないし、打撃もそこそこ。レギュラーもとってないし、僕のポテンシャルを考えると10年もよくやれたなと思う」。内野ならどこでも守れる器用さと、勝負強い打撃で生き抜いてきた。

 引退後のプランは、意外なものだった。「保育園、もしくは保育所をつくれないかと思ってます。待機児童は深刻ですから」。ネットの匿名ブログに「保育園落ちた日本死ね」と掲載されてから、大きな社会問題となった。原氏も「自分で何かできないか」と考えていたという。

 独身で、もちろん子供もいない。「結婚してないからこそ、考えられることがあるんじゃないかと」。野球では守備固め、代打、代走とさまざまな役割をこなしてきた。必要とされた広い視野を、今度はまったく違うフィールドに生かしたいと思っている。

 下支えが多かったプロ生活。関東学院大から西武に入団し、すぐに焦った。「1歳上に中村さん、2歳上に中島さんと片岡さんがレギュラーでいたので。この人らに勝てるのかなと」。当時2軍コーチだった田辺徳雄氏、森博幸氏から徹底的に鍛えられ、3年目から頭角を現した。

 12年オフに交換トレードでオリックスに移籍。14年の優勝争いが、10年間で最も印象深いという。ソフトバンクとの「10・2」決戦では、7回の代打で同点適時打。延長戦で敗れて優勝を逃したが「すごい緊張感。あの年で一番いい試合だった」と懐かしむ。

 保育園、保育所については知人に相談する中で、少しずつ具体的になってきた。「これだけ大変な世界でつらいことに耐えてきた。だいたいのことには耐えられると思ってます」。消防士だった父譲りのガッツを武器に、厳しいプロ野球で生きる道を探ってきた。第2の人生でも、コツコツと努力を重ねていく。【オリックス担当=大池和幸】