上田利治氏の訃報が伝わった2日、球界からは惜しむ声が相次いだ。阪急(現オリックス)で指導を受けたオリックスの福良淳一監督(57)は「一番お世話になった。ユニホームを着ている時は厳しかった。上田さんに『大丈夫やろ』と言われたら『はい』としか言えなかった」と一時代を築いた名将を懐かしんだ。

 現在は自らが指揮を執る立場で「どこかで(伝統が)途切れてしまっている。それを引き継いでいかないと」と誓った。

 阪急一筋で通算1065盗塁のプロ野球記録を持つ福本豊氏(69)は「まさに熱血指導の人。投手の癖を見抜くなど情報を収集し、アイデアを出し、緻密な阪急の野球をつくりあげた」と功績をたたえた。

 阪急で戦ったソフトバンクの佐藤義則投手コーチ(62)は「僕の中では一番の監督。今の自分があるのはあの人のおかげ」。1978年の日本シリーズで語り草となっている、本塁打の判定を巡る1時間19分に及んだ抗議を「自信があったから、あれだけ抗議したのだろう」と振り返った。

 上田氏が日本ハムの監督に就任した95年に入団した阪神の金村暁投手コーチ(41)は「ブルペンで投げたときに『ええで、ええで』と言ってくれたのが印象に残っている」、日本ハムで主軸を務めた阪神の片岡篤史打撃コーチ(48)は「厳しい練習があったからこそレギュラーになれて、今もユニホームを着ることができている。感謝しかない」と惜しんだ。