楽天の星野仙一球団副会長が4日午前5時25分に死去した。70歳だった。阪神OBの桧山進次郎氏がその死を悼んだ。

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 昨年12月の殿堂入りを祝う会でお会いした時、もう1度監督をされるんじゃないかというぐらいお元気でした。でも、星野さんはご自身の体調を分かっていたはず。03年の阪神優勝メンバーと一緒に壇上に上がって、最後にみんなの顔を見ることができて良かったと思っていたのかなと思ってしまいます。今はショックで信じられません。

 星野さんが来られた1年目の02年キャンプイン前日、部屋に呼ばれました。ほぼ初対面でしたが「選手会長、頼むぞ! 引っ張ってくれ」と言っていただき、全身が引き締まりました。それまではランニングでも後ろの方を走っていたのですが、次の日自然と先頭を走って大声を出していました。プロで初めて、リーダーシップに目覚めた瞬間だったかもしれません。

 その年のオフ、FAの相談にも乗っていただきました。「どないなってるんや」と横浜の宿舎で呼ばれました。「阪神球団からいい話をいただけていません」と言うと、「よし、俺が代理人になっていい交渉をしてやる」と。そして、星野さんは言いました。「残れ! お前が残らないと意味がない。生え抜きがこのチームを背負っていかなあかんやろ」と。チームを出ようかどうか悩んでいた時でした。星野さんがいなければタテジマ一筋22年ではなかったかも知れません。

 「俺について来い、必ず優勝させてやる」。すさまじい迫力、“ネバサレ魂”で弱かったタイガースを明るく強くして、2年目で優勝させてくれました。今は感謝しかありません。背中で組織を引っ張られた方。その教え、生きざまは僕の中に生きています。(日刊スポーツ評論家)