中日岩瀬仁紀投手(43)が天国の恩師に復活投球をささげた。18年ナゴヤドーム初戦のこの日の楽天戦は、星野仙一元監督(享年70)の追悼試合として開催。中日ナインは同氏が選手時代の背番号「20」、監督時代の「77」を胸につけて臨み、岩瀬は7回の1イニングを1安打無失点に抑えた。前回2月24日の日本ハム戦(北谷)では3者連続本塁打を浴びたが、しっかり修正。星野氏に見いだされ、日本一のリリーバーに成長した現役最年長が、星野魂を胸に復肩をアピールした。

 試合前の黙とう。静かに目をつぶると、プロの世界に飛び込んだ19年前が頭に浮かんだ。闘将・星野監督からは厳しい言葉で叱咤(しった)され続けた。「いろいろ思い出しました」。43歳になった岩瀬は語った。

 「へたな投球はできない」。背番号は星野氏の現役時代の20。そして左胸につけた監督時代の「77」の部分を思い切り張り、腕を強く振った。前回2月24日の日本ハム戦では横尾、森山、清水に3連続本塁打を浴びる最悪の内容だったが、修正して結果を出した。

 1死一塁から下妻を三ゴロ併殺に打ち取った。不調の新球チェンジアップに代え、封印していたシンカーを2月下旬から試投。下妻に対してシンカーをファウルさせてからの直球で、ゴロを打たせた。「ある程度、自分の思うところに投げられた。だいぶ調整はできてきたと思う。(星野氏なら)走者を出すなと言われるかもしれませんが」と笑顔で振り返った。

 めった打ちから3日後の北谷球場のブルペン。「3連発浴びて目が覚めたよ」と絶好調だった。その場で、昨年中途半端な使い方で終わったシンカーを試した。今年は封印するつもりだった。すると軌道、制球ともほぼ完璧。この日の登板を終えて「副産物かもしれない。使える感じを受けた」とチェンジアップ習得に励んだ成果でシンカーにメドが立った。投球に幅が出る可能性を感じている。

 40歳を過ぎてカットボール、シンカー、チェンジアップと毎年新球に挑戦している。あくなき探求心はプロ1年目に植え付けられた。99年4月のプロ初登板で救援失敗。救援に適性を見ていた新人左腕を、星野監督はそれでも使い続けた。強い重圧を感じた岩瀬は、そのときに結果を出すために工夫を重ねた。

 「とにかく野球に厳しい監督だった。1年目でプロの世界を勉強させてもらい、基礎ができた。20年目なので、しっかり投げないといけませんね」。星野魂を受け継ぐ兼任コーチは今年も変わらず前に進む。【柏原誠】