ヤクルトでスカウト部長を務めた小田義人(おだ・よしと)氏が5日午前10時、肺がんのため静岡市内で死去した。71歳だった。

 静岡高の3年だった65年に阪急からドラフト指名を受けたが、早大に進学。大昭和製紙を経て、72年にドラフト2位でヤクルト入団。日本ハム、南海、近鉄でもプレーし、83年に現役引退。近鉄のスカウト、ヤクルトではコーチを経て、95年にスカウトに就任した。スカウト部長も務め、大学の後輩でもある青木宣親(03年4巡)田中浩康(04年自由枠)武内晋一(05年希望枠)らを指名し、ヤクルトの基礎固めに貢献した。

 16年7月いっぱいで球団を離れると、17年春から母校の静岡高の外部コーチに就任。優しく論理的な指導で同年春、今春と2度のセンバツ出場に携わったが、今春は体調を崩し、センバツに同行していなかった。センバツ後も指導に訪れることはなかった。

 亡くなる3日前の2日に、静岡市内の病院を訪れたという静岡高の栗林俊輔監督(45)は「野球人としても人間としても、尊敬できるお人柄でした。自分も選手もいろんな面でお世話になりました。選手ともども頑張って、小田さんにご恩返しできるようにしたいです」と故人をしのんだ。

 ◆小田義人(おだ・よしと)1947年(昭22)5月22日、静岡市生まれ。静岡では甲子園2度出場。65年ドラフトで阪急から6位で指名も早大に進学。大昭和製紙を経て、72年ドラフト2位でヤクルト入団。74年オフに日本ハムへ移籍し、その後南海、近鉄を経て83年に現役引退。通算887試合、610安打、67本塁打、打率2割5分6厘。87年から近鉄でスカウト。91年にヤクルトで2軍コーチを務め、95年から16年までスカウト担当。17年に母校静岡の外部コーチに就任。現役時代は179センチ、76キロ。右投げ右打ち。