空白の1年を取り戻す。西武を戦力外となった玉村祐典投手(23)が3人の打者に対し、無安打1四球とした。

コンパクトなテークバックから鋭く右腕を振った。今成(阪神)を138キロの直球で左飛に打ち取る。続く青山(巨人)は歩かせたが、森山(ソフトバンク)は139キロの直球で二飛に抑えた。最速は140キロながら、伸びのある直球を投げ込んだ。「とにかく力を抜いてリラックスして投げようと思いました。準備してきたことは出せましたし、楽しくできました」。鬼気迫る表情をふっと緩めて投球を振り返った。

14年ドラフト4位で西武から指名を受けた。所属は「敦賀気比卒」。浪人中だった。指名は実家の自室で寝ころびながらスマートフォンで見ていた、ドラフト会議指名速報のサイトで知った。「ぼーっとしながら更新ボタンを押していたら、自分の名前が出てきて、『まさか、本当なのか?』と半信半疑でした」。翌日、スカウトから電話が入り、実感がわいた。夢が実現した。

福井県鯖江市出身。小3から野球を始め、中学時代に所属した鯖江ボーイズではエースピッチャーでジャイアンツカップ4強に導いた。高校は強豪の敦賀気比に進学。甲子園は3年春の選抜で経験したが、リリーフで2/3回のみ。春の県大会、北信越大会では先発を担ったが、最後の夏は2番手投手だった。県8強で甲子園に届かず、進路は大学進学を選択。だが、「野球への熱が少し落ち着いてしまった」と目標を失い、進学が立ち消えた。敦賀市での寮生活から鯖江市の実家へ戻った。

就職はせず、地元のコンビニでアルバイトをした。時給720円で平日は、ほぼ毎日シフトに入った。そんな生活をしている間に、小さい頃からの夢だった「プロ野球選手になりたい」という熱が再燃した。きっかけは中学、高校の同級生でエースを争い、高卒で育成ドラフト1位で中日に入団した岸本淳希の存在。「岸本が頑張っているところを見て、刺激を受けました。いろんな人と相談して、もう1度チャレンジしてみようと思った」。

母校の敦賀気比、地元の鯖江ボーイズで中学生と交じってトレーニングを続けた。「実戦もないので、正直不安でした」。それでも走り込みを重ね、最速は高校時代から3キロアップの149キロになった。話を聞きつけた西武のスカウトが練習を見学。扉が開かれた。

夢に見たプロ野球の世界に衝撃も受けた。「車に驚きました。聞いたことはあるけど、あまり見たことのないような外車がたくさん停まっていて…。僕はトヨタの車ですよ」。恵まれた環境で質の高いトレーニングを重ね、最速は152キロまで向上。イースタン・リーグで経験を重ねた。

だが、体が悲鳴を上げた。7月。キャッチボールを終えた後、右肩に激痛が走り、上がらなくなった。「体は強い方だったので、初めての痛みでした」。2カ月間投げられなかった。復帰後もケガが重なった。手首、肘も痛め、球速がみるみる落ちた。4年目の今季は右肩痛が再発。イースタン・リーグで16試合に登板も防御率6・69と奮わなかった。

10月4日に戦力外通告を受けた。「拾ってもらった球団にはとても感謝しています。チャンスは自分でつかむもの。4年間でつかめなかった自分が悪い」。周囲に相談し、「結果はどうあれこれからの人生につながる」とトライアウト受験を決断。23歳の誕生日だった11月4日も「特に誕生日だからって何もないですよ。いつも通り練習です」と万全を期した。

とにかく現状の力は出した。「どんな形でも野球を続けたいです。ケガばかりで歯がゆい4年間だった。今は全く問題ない。もう1度チャンスをもらえれば、結果を出す自信があります」と心の火は消えていない。「ふと開いたプロ野球名鑑で自分の欄を見たら、1軍出場の項目には横棒しかなかった。『俺は何をやってるんだろう』って、情けない気持ちになりました。やっぱり1軍のマウンドに立ちたいと強く思いました」。夢を追う23歳は、帰り際に受け取った再就職を促す一般企業のパンフレットを抱えながら、球場を後にした。【桑原幹久】