南東北大学野球リーグの東日本国際大(福島)エース右腕・船迫大雅(4年)が、社会人の強豪で14年都市対抗を初制覇した西濃運輸(岐阜・大垣市)に内定したことが、8日までに決まった。プロ志望届提出も、指名されなかった悔しさを味わったが「2年後にプロ野球で必要と認められるような投手に、絶対なります」と前を向いた。

ドラフトの10月25日を「生きてきた中で一番屈辱的な1日」と形容した。切磋琢磨(せっさたくま)してきた粟津凱士投手(4年)だけが西武4位指名。当日は同期に励まされ、表向きは明るく振る舞ったが、直後の明治神宮大会中も、すべてが吹っ切れたわけではなかった。

引退し、野球を続けることができない仲間もいることを、あらためて実感。頭に浮かんだのは聖光学院(福島)時代の恩師・斎藤智也監督(55)が話してくれていた「起こることは、すべて必然」の言葉だった。「3週間くらい、かかりましたね。何してんだオレって感じ。すべては将来に意味があることだと思えています」と苦笑い。今月4日に岐阜に出向き、来春入社の同期と野球部の先輩で食事会に参加。「そこで完全にスイッチが入りました。高校、大学だけでなく、力の差を見せつけて社会人でもエースに。日本一になるために『限界突破』を掲げて、もっと成長したい」。プロの“先輩”となる粟津とも交流をさらに密にし、吸収するつもりだ。

足りないものは大きく2つと自己分析した。大学では1年春から登板し、リーグ最多タイの34勝を挙げたが、全国舞台では1勝のみ。「結果を出すには、まっすぐの球速アップ。三振をとれる投手になることが理想」。サイドから得意のシンカーやスライダーを生かすためにも、最速144キロの直球を150キロに近づける。「そのためには体を大きく」。現在は筋力トレーニングと並行して「体を動かしすぎずに、とにかく増量」。次の舞台への準備を着々と進める。屈辱を、必然の1日だったと言えるように。【鎌田直秀】