「令和1号」は巨人坂本勇人内野手がたたき込んだ。「平成1号」は、巨人原辰徳監督が89年4月8日のヤクルトとの開幕戦で、初回に通算250号となる先制2ランを放っている。原監督、坂本勇と巨人から飛び出した連続メモリアルアーチ。平成元年、原辰徳の「平成1号」をプレーバックする。

◆◆◆復刻紙面◆◆◆ 

<巨人6-2ヤクルト>◇東京ドーム◇1989年(平元)4月8日

さあ、新時代のプロ野球が派手なアーチの続出で幕を開けた。東京ドームのデーゲームでは、巨人原が250号含む2本塁打で新生巨人をアピールすれば、ナイターでは日本ハムのルーキー中島が33年ぶりという、開幕新人サヨナラ本塁打の離れ業。さらに広島球場では阪神フィルダーが逆転3ランを放った。いずれもホームランで決着するスリリングなプロ野球開幕だった。

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3度両腕を天高く突き上げた。一塁をまわったところで1度、二塁から三塁までの間に2度。新時代のプロ野球開幕を飾る晴れの1号アーチのうれしさを、原は全身で表現した。初回、三塁に中畑を置いて左翼スタンドにたたき込んだ。平成元年の球界1号は、原にとっても通算250号の祈念本塁打でもあった。

興奮していた。今年から本塁打を打った選手に贈られる童夢くんの人形と花束をもらうのも忘れ、ベンチ前に並んだナインの前に一直線に走った。試合中に取材陣に配られるコメントの用紙には、広報担当が「興奮して話せないので、談話はしばらく待ってください」と断り書きを入れた。

3回には、内角低めの難しいボールを再び左翼へ。1963年に長島が達成して以来、26年ぶりに巨人の4番打者として、開幕2本塁打だ。2発目の本塁打を「非の打ちどころのないホームランでした」と自画自賛した。両腕を体に巻き付けるようにシャープに振り抜くテクニックの1発。これまで1本打つと安心してしまうのか、固め打ちの少なかった原が、開幕戦での2発で一気に尾花をたたきつぶした格好だ。藤田監督も「ああいうことができるようになったんだね」と、原の技術的成長にびっくり仰天した。同監督にとっては頼れる4番を確保した。

「250号? 僕の目標は長島さん(444本)に近づくことです」。この男にしては珍しい強気な発言だ。81年。原が巨人のユニホームを着ることが出来たのは、藤田監督が第1次政権の時のドラフトでクジを引き当ててくれたからだった。その指揮官が、5年ぶりに「再建」の2文字を背負って再任した。その監督から「左翼コンバート」を指示されれば素直に従い、キャンプ中には右へ打つ技術習得に取り組んでもきた。

それだけに勝つことに対する願望は原にとって、あるいは他の巨人ナイン以上に強いといえる。「130分の1という人もいる。だけど、みんなで一丸となっていいスタートをきりたかったんだ」と顔を真っ赤にしてしゃべった。

今、練習中に使うグラブは、従来の茶色から青に替えている。派手なガッツポーズについても「あのくらいのポーズ作れるぐらい余裕を持って、これからやりたい」と胸を張った。

あえて、目立つ、派手な物へチャレンジしようとする原。今年のこの男はV奪回の大きな起爆剤となるムードが漂ってきた。

(表現は平成元年(1989年)当時のまま)