さらば守護神。広島は6日、永川勝浩投手(38)が現役引退することを発表した。02年に亜大から球団初の自由獲得枠で広島に入団。1年目から球団新人最多25セーブを記録した。05年から5年連続50試合登板、07年からは3年連続で30セーブを記録。165セーブは球団最多記録。一時代を築いた大投手が、現役生活にピリオドを打つ。

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17年のプロ野球人生を終える決断を下した。長身から投げ下ろす力強い真っすぐと、落差の大きいフォークを武器に、球団最多の165個のセーブを積み重ねた。低迷期にあった00年代の広島を守護神として支えてきた。今季は1軍登板なし。体力や回復力など肉体的な衰えから後進に道を譲る結論に至った。

重圧のかかるポジション、本拠地ファンからのざわつきからも逃げなかった。走って、走って、投げてきた。だからこそ下半身のケガがプロ野球人生に大きな陰を落とした。10年4月に右内転筋を痛めると、復帰して間もない6月に再発。長期離脱を余儀なくされた。17年は左膝痛の影響から5年ぶり2度目のシーズン1軍登板無しに終わり、同年10月に左ひざクリーニング手術を受けた。

走り込んで迎えた昨年は2年ぶりに1軍で22試合に登板。勝ち星も手にした。若いころのように力で抑えることができないからこそ、技術を磨くことに全力を注いだ。大瀬良よりも早くパフォーマンスコーディネーターの手塚一志氏に師事。大瀬良が「僕はまだナガさん(永川)のレベルには達していない」という体の使い方と難易度をクリア。スピード系のトレーニングでも「岡ちゃん(岡田)とか矢崎とかに追い付こうと思ってやっている」と球団屈指の速球派にライバル心をのぞかせた。

開幕から体を痛めながらも、年下の岸本2軍スコアラーや松橋ブルペン捕手に助言をもらいながら1軍マウンドを目指した。ただ度重なるケガもあり、引退を決断。チームにとって今季最終戦となる23日中日戦で引退セレモニーが行われる予定だ。まだ最終順位が確定していないチーム状況もあり、鈴木球団本部長は「試合状況で出られるかは現場の判断」と話すにとどめた。それでも現在、右肘違和感を抱えながら、最後の晴れ舞台に向けて3軍で調整を続ける。最後の勇姿をファンに見せるために-。【前原淳】

◆永川勝浩(ながかわ・かつひろ)1980年(昭55)12月14日生まれ、広島県出身。広島新庄から亜大を経て、02年度ドラフト自由獲得枠で広島入団。1年目から救援投手として活躍し、25セーブをマーク。07年からは3年連続で30セーブ以上を挙げた。通算165セーブは球団記録。188センチ、98キロ。右投げ右打ち。

▽楽天平石監督の話 投手としてはフォークを投げ分けて操る、人としては独特の雰囲気があるタイプだった。(松坂世代の現役選手が少なくなり)寂しいですね。

▽巨人木佐貫ファーム投手コーチの話(亜大で同期)僕が引退する時、永川より先に辞めるのかと悔しかったですけど、4年間も長くやったのはすごいなと思います。17年間、お疲れさまでした。