球界のドンとして君臨し続けた野村克也氏。野球についての知識はもちろん、豊かな人間味で多くの思い出と財産を残した。歴代の担当記者が悼む。

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球団創設2年目から就任した楽天監督としての最大の功績は、仙台、東北にプロ野球を楽しむ文化を確立したことだろう。

野村監督2年目の07年から、最終09年までの3年間を、担当した。仙台市内のなじみの居酒屋に入ると、勝っても負けても店員から「ノムさんのコメント、キレてたねえ」と声をかけられたものだ。当時、本拠地の試合後は毎試合、テレビインタビューに応えた。それが、夜や翌朝のスポーツニュースで放送される。令和時代では考えられない露出度の高さで、茶の間の老若男女に届けられた。有名な「マー君、神の子、不思議な子」も、試合後の会見で放ったフレーズだ。

楽天を指揮した4年間は256勝302敗10分け。半分以上の負け試合では、ストレートに選手を批判することもしばしばだった。ただ、そのボヤキを聞いた東北の人は、指摘された選手に感情移入して、選手のファンになっていった。たとえ負けても「頑張れ」と応援する東北のファンの気質も手伝う。ボヤキの積み重ねによって、どんどん地元に愛されるチームになっていく様を、肌で感じた。

今のファンが享受する「プロ球団のある日常」の源泉には、野村監督の発信力がある。【07~09年楽天担当 金子航】