2010年創設の日本女子プロ野球リーグの1期生が、出身地の静岡・三島市で奮闘している。13年に同リーグ史上初の女性監督に就任して注目された、日大国際関係女子硬式野球部初代監督の坪内瞳さん(35)がこのほど、日刊スポーツの取材に応じた。14年から県内唯一の大学女子硬式野球部を指導。監督業と1児の母を両立しながら、次代を担う選手の育成を続けている。

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三島市内の日大国際グラウンドで自主練習する選手たちを、坪内監督は見守っていた。今年は新型コロナウイルスの影響で大会中止が相次ぎ、残る公式戦は第10回全国大学女子硬式野球選手権(8月29日開幕・和歌山県田辺市)のみだ。「仕方がないことですが、試合をさせてあげたいですね」と心境を語った。

中学までは男子とともにプレーした。埼玉栄高を経て、平成国際大(埼玉)1年時に女子だけの硬式野球チーム「侍」を設立。4年目に全日本女子硬式野球クラブ選手権で優勝した。大学卒業と同時期に創設された、同大女子硬式野球部にコーチ兼選手として3年間所属。退部後は、日本女子プロ野球リーグの第1回トライアウトで合格し、10年から3季、プレーした。

現役引退後、日本女子プロ野球機構に就職。13年、ノース・レイア(現レイア)の当時の監督辞任を受け、「職員として練習を手伝って、毎日見ていたチームだった」との理由で、後任監督に就任した。しかし、チームは連敗。「勝つことが難しかった。個の力をチームとしてまとめることができなかった」。シーズン終了後に退任した。

翌14年から日大国際関係女子硬式野球部が立ち上がることを知り、大学へ問い合わせた。スタッフとして入部するつもりが、監督に就任。指導者は自分だけで、「孤独感がすごくありました」。初年度の部員は1人だけ。選手を集め、チームを作り、5年目の18年には同大男子野球部コーチの力を借りながら、全国大会で春秋連続準優勝。強豪へと成長させた。

昨春に長女を出産。現在、選手たちの指導は、主に男子野球部コーチに任されている。それでも、育児の合間にグラウンドに来て、監督業を継続。「県内でも女子が野球をする環境が整ってきているし、競技人口は今後、増えていく。女子野球が発展する未来が楽しみ」と声を弾ませた。【河合萌彦】

◆坪内瞳(つぼうち・ひとみ)1984年(昭59)6月5日、三島市生まれ。小4から軟式野球を始め、埼玉栄高で硬式に転向。高2春に全国大会出場。平成国際大を経て、10年に女子プロ野球の兵庫スイングマイリーズ(現愛知ディオーネ)に入団。サイドスローの投手として活躍し、打者としても高打率を残した。現役引退後の13年にノース・レイア(当時の活動地域は北日本)監督に就任。14年から現職。右投げ右打ち。家族は夫と1女。

◆大学女子硬式野球 全国大学女子硬式野球連盟には、日大国際関係を含む8大学が加盟。毎年春と秋、全加盟校参加の「全国大学女子硬式野球選手権」(春は15年~、秋は11年~)を行う。尚美学園大(埼玉)が、最多の春秋通算7回の優勝を誇る。