かつて「普通」の野球少年だった右腕が、晴れ舞台に立った。楽天ドラフト6位の滝中瞭太投手(25)が19日、ソフトバンク17回戦(ペイペイドーム)でプロ初登板初先発に臨んだ。6回途中1失点で自身に勝敗はつかなかったが、チームの勝利に貢献。小学、中学時代は控え選手。地元で消防士になろうと考えていた幼少期から、プロの1軍マウンドまでたどり着いた。

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ピークは試合前に訪れた。宿舎からバスで球場入り。グラウンドでウオーミングアップ。いつも時の流れを過ごしても胸の高鳴りが止まらない。「試合前の方が緊張しました」。三木監督から「今日しか初登板はないぞ。楽しめよ」と言葉をかけられた。「徐々に楽しめたところもありました」。1点リードの4回2死一塁。怪力自慢のデスパイネへ初球から真ん中へチェンジアップを投げ込み、中飛に仕留めた。置かれた環境で、力を出しきった。

無邪気に白球を追っていた時は、今の自分が想像できていなかった。兄、姉が所属していた「新旭スポーツ少年団」で小学3年から野球を始めた。小学校低学年まで運動会の50メートル走はいつも1位。運動神経には自信があった。だが、いきなりの挫折。「エースの子がすごくて『こういう人がプロ野球選手になるんだな』と」。1学年14人のチームで「試合にはぎりぎり出られるレベル。とにかく守備が下手でした…」。

中学の野球部でも主力ではなかった。同学年は10人。三塁手兼投手でスタメン入りは危うい立場。紅白戦では3番手投手。最速は100キロで70キロのカーブも投げた。「ストライクが入ることくらいしか、いいところはなかったです」。小学校の卒業文集では将来の夢に「プロ野球選手」と書いたが中学校では書かなかった。地元で消防士になろうと、ぼんやり思っていた。

人生、何があるか分からない。地元の公立高に進むと145キロまで球速が伸びた。龍谷大1年時に右肘靱帯(じんたい)再建手術を受けたが、リハビリの一環で投げたカーブの感覚を磨かれ、今も活用している。

社会人野球を経て、プロの扉を開いた。開幕から2軍暮らしが続いたが、結果を残し続け、1軍切符をつかんだ。三木監督も「若い選手に背中でいろんなことを伝えられるような選手に将来はなってほしい。初登板の気持ちは一生忘れずに、次は勝ち投手になれるように頑張ってほしい」と期待を込める。「やってきたことが出せてよかったです」と滝中。「普通の野球少年」がスタートラインに立った。【桑原幹久】

◆滝中瞭太(たきなか・りょうた)1994年(平6)12月20日、滋賀・高島市生まれ。小学3年から「新旭スポーツ少年団」で内野手として野球を始め、湖西中では軟式野球部に所属。高島高-龍谷大を経てホンダ鈴鹿で活躍。19年ドラフト6位で楽天入団。今季推定年俸900万円。180センチ、93キロ。右投げ右打ち。