巨人坂本勇人内野手(31)が、史上53人目の通算2000安打を達成した。

坂本のプロ14年間は、「キセキ」の連続だ。同僚、友人、恩師ら大好きな仲間への永久の愛を形にしてきた。背番号「6」の背中には夢がある。“奇跡”がある。想像を絶する重圧を背負いながら、仲間と、ファンと、喜びや悲しみを分け合ってきた。関西出身のイケメンは長身でスタイルも抜群。愛される男の裏側は人情味にあふれ、その傍らには涙があった。利己的な涙はない。ピュアに人を思う気持ちが涙であふれた。大好きな仲間と寄り添って、歩いた仲間との“軌跡”をたどる。これから先も何十年続いていけるような「キセキ」がある。

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◆広島長野久義(サカチョー)

あふれる思いが止まらなかった。8年前の10月7日DeNA戦。長野は二塁ベース上の坂本に向け、ベンチから両手でガッツポーズを繰り返した。2打数無安打の長野に対し、坂本は4打数3安打。7回の最終打席で代打を送られ、2人の最多安打が決定的に。込み上げる涙を手袋でぬぐう坂本の姿が見えた。「あそこで3本打つんだから、やっぱりすごいなと思った」。2度のガッツポーズが涙の伏線だった。シーズン最終戦前時点で安打数は173と170。「頑張ってきたし、一緒に取りたかった」と願ったが、故意に凡退するわけにはいかない。1打席目は四球でガッツポーズ。普段はクールな「長さん」の思いが坂本の胸に響いた。アベック弾は13回。広島に移籍した今も、2人の絆の深さは変わらない。

◆巨人小野淳平打撃投手(じゅんぺーさん) 13年のシーズン途中、巨人小野は広島にトレード移籍した。激励会のラストに、ゆずの「栄光の架橋」を全員で熱唱。エールを送られた。すると坂本から「一生、会われへんわけちゃうのに…。オレ、何で泣いてんねんやろ」と号泣された。もらい泣き。「勇人の優しさが心に染みたし、勇気づけられた」。

◆巨人山口鉄也3軍投手コーチ(尊敬する先輩) 18年のファンフェスタ、巨人山口鉄は脇谷、寺内、西村とともに引退セレモニーに臨み、目を潤ませた坂本と抱擁した。引退を決断した直後に届いたLINEは忘れられない。「もう1回投げてる姿を見たかったですし、後ろで守りたかったです。でも、絶対に泣いちゃいます」。坂本が先発出場した試合で最も多い593試合に登板した。今、読み返しても「ウルッときます」。時を超えても思いは変わらなかった。

◆巨人阿部慎之助2軍監督(師匠) アベック弾37度の巨人阿部は、成長の軌跡を思い返した。1年目の07年オフ、グアム自主トレに引き連れた。「自分で起きられるようになったのが一番の成長。俺が起こしてたんだから(笑い)」。「バットを振ることも、食べることもトレーニング」。共同生活したダイニングでは朝も昼も夜も寄り添って歩いた。3年目の09年7月8日の横浜(現DeNA)戦。14打席無安打と、もがく坂本がいた。ベンチ最前列で気落ちする後輩を「こういう時は待ってない球を打つ習性がある。見逃し三振でもいいから、『これだ』と思った球を打て」と突き飛ばすように背中を押した。一振り目で得意の内角球を振り抜き、自身2度目のサヨナラ弾。ド派手にガッツポーズし、ナインの輪に飛び込んできた目は潤んでいた。

◆西武内海哲也(お兄ちゃん) 西武内海は、優しさと苦悩を知る。移籍後初先発だった8月22日のオリックス戦、坂本から「うーさん、頑張ってください」とLINEが届いた。「あいつも大変やのにな…。ほんま、うれしかった」。打率2割台前半と苦しむ中でも、細かな気づかいに愛を感じた。「ありがとう。勇人も頑張れよ」。普段は天真らんまんの“弟”が珍しく弱気だった。返信には「全然、打てないです」とあった。「ずっと頑張ってきてんねんから、ゆっくりやればいいんや」と返した。「そんな優しいこと言われたら、泣きそうになります」。内海の先発時は26本塁打、92打点。18歳から知る青年は今、苦悩と闘いながら、立派なチームリーダーへと変わった。

◆明秀学園日立・金沢成奉監督(高校の恩師) 「坂本が泣いてた…」。3年夏の青森大会決勝での敗戦後、当時の光星学院(現八戸学院光星)を率いた明秀学園日立・金沢監督は関係者の言葉に驚いた。「後から人に聞いた話ですが、『この人は本気やったんや』と思ったら、涙が出てきたみたいです」。いつまでも笑ってたかったが、号泣する監督の姿に胸を打たれ、瞳をぬらした。「チーム、仲間を大事にする子。負けて悔しいから、打ってうれしいからじゃなく、いつもあの子は人が中心なんです」

◆昆陽里タイガース・山崎三孝理事長(少年野球チームの恩師) 「タイム、お願いします」。マウンドからの「涙のリクエスト」だった。当時監督だった昆陽里タイガースの山崎氏は、6年生最後の県大会決勝で衝撃を受けた。同点の6回から登板した坂本から、先頭への四球の後に泣きながら「滑る」と訴えかけられた。「プレートが埋まってる」と言われ、マウンドをチェックするとソフトボールのプレート板が見つかった。大会関係者と協議の上で試合を続行。スクイズで敗れたが、同監督は「一生懸命やったと納得したのかな」とうまくいかない日でも、敗戦後に涙はなかった。