そぼ降る雨の中、野村克也さんはホークスOB総監督として、南海ホークスのユニホーム姿でグラウンドに立った。18年2月10日、ホークス-巨人のOB戦。宮崎で行われた試合には監督解任以来、41年ぶりとなる「ホークス野村」の姿があった。

「振り返ってみれば、私とホークスは同じ年なんですよ。プロ野球は昭和10年から始まって(リーグ戦スタートは36年)、僕と同じ年なんですよ(野村さんは35年6月29日生まれ)。ホークスは2年後に誕生したんですかね。その頃のホークスのことは分かりませんけど、まあ、プロ野球とともに人生があるんだなあ、ということは痛感しているんですけどね」

巨人が宮崎キャンプ60周年を記念して企画したホークスとのOB戦。長嶋、王両氏も参加した記念ゲームで、ビジターとはいえ、ONに次ぐ主役は野村さんだった。試合前のロッカールーム。一塁側ベンチ裏から三塁側ロッカー室に何人もが足を運んだ。ミスターも、そして世界の王も野村さんのもとにあいさつに訪れた。何枚、記念写真を撮っただろうか。ONとのスリーショットは、関係者からも何度もリクエストされたほどだった。

「(OB戦に)呼んでもらって光栄でした。宮崎には(キャンプ取材で)来るんですけど、ホークスのキャンプは来ていないね。仕事がないんですよ。巨人しか」

野村さんがホークスと「決別」してから、初めて「後輩」たちの姿をキャンプ地で見た。南海-ダイエー、そしてソフトバンクと親会社は変遷した。楽天の監督時代は王ホークスとも戦ったが、古巣のキャンプを見るのは初めてだった。

「ホークスはやっぱり他人とは思えないんですよ。24年間、南海ホークスにいましたから。余計に思うんですよ。最初に監督をやらせてもらったのも南海ホークスでしたからね。ホークスに背中を向けて寝られないというか、感謝しかないんで。そう思って今も生きていますけどね。ホークスのおかげですよ」

急成長した柳田にも声をかけた。野村さんの打撃理論をも打ち破る豪快な打撃を見せつけるスラッガーに思わず、ぼやきが出た。

「ワンちゃん(王氏)がよく黙っているな、と思うんだ。あのバッティング。僕はフルスイングはどれだけミートポイントのところで爆発するか、と思っているんだけど。そのためには力抜くところはちゃんと力抜いていないと。力を入れるのは簡単ですけど、抜くのが難しいんですよ。彼(柳田)はプロとしての打撃の常識を破るんじゃないですか。打撃理論からすると、かけ離れたものだと思うんですけど。僕が監督なら『柳田のマネするなよ』と言っちゃいますね」

ホークスがキャンプを張るアイビースタジアムには、なんとも言えないピリッとした緊張感が走っていた。【取材・構成=佐竹英治】(つづく)

◆野村克也(のむら・かつや)1935年(昭10)6月29日、京都府生まれ。京都・峰山高から54年にテスト生として南海入団。ロッテ、西武で80年に引退するまで名捕手として活躍し、歴代2位の657本塁打を記録。65年には2リーグ制後初の3冠王に輝いた。70年から選手兼任監督を8年務め、73年にリーグ優勝。首位打者1度、本塁打王9度、打点王7度。最優秀選手5度。ベストナイン19度。89年野球殿堂入り。ヤクルト監督時代に日本一3度。その後阪神、楽天の監督を務めた。監督通算1565勝は歴代5位。20年2月11日に虚血性心不全のため84歳で死去した。現役時代は175センチ、85キロ。右投げ右打ち。