高校野球界の名門、花巻東(岩手)から史上初の東大生が誕生だ!

硬式野球部出身で、浪人中だった大巻将人さん(20)が10日、3度目の挑戦で東大の文科2類に合格した。

エンゼルス大谷翔平や、マリナーズ菊池雄星以上の文武両道成就に「『苦しい時にも前向きに』の教えが受験にも生きました。メジャーリーガーの先輩たちは子どもたちに大きな夢を与えてきた。自分は花巻東から東大に初めて合格し、別の角度で影響や刺激を与えられるような人間にもなりたい」と次の目標も明かした。

中学時代から学年トップの成績。県内一の進学校でもある盛岡一に合格出来るほどの学力だったが、「とにかく野球がやりたかった。甲子園に行きたかった。当時は勉強はそれほど好きではなかった」と花巻東を選んだ。「岩手から日本一」を目標に掲げた野球はもちろんだが、佐々木洋監督(45)の「日本で二番目に高い山は知っているか? だから(誰もが知っている)一番を目指せ」の言葉に背中を押されて、日本一の東大を志望してきた。

外野手として公式戦出場経験もあるが、高3時の18年春夏連続甲子園出場時には、記録員として貢献。センバツの開会式ではプラカードを持って入場行進した。現役時は全体練習後、自主練習や食事、洗濯などを済ませ、午後11時の点呼後に約2時間の勉強。遠征などの移動中もバスに参考書や英単語帳などを持ち込んで時間を有効活用した。卒業後は都内の予備校に通いながら、「今年度になってからは運動しながら勉強もすることが一番良いことも分かってきた」と、筋トレや素振りなどにも時間を費やし、両立してきた。センバツ前の東京合宿中には佐々木監督の口利きで1人だけ東大の練習に参加させてもらい、入学をイメージするために赤門の前で写真撮影したこともあった。

東大進学後は、再び本格的に野球を再開するつもりだ。花巻東で培った左打ちの巧打に期待も高まる。同大は、東京6大学野球のリーグ戦56連敗中で98年春から続く最下位脱出に挑んでいる。「東大は勝利の価値がもっとも高い野球部だと思っている。その力になりたい」。勝利や最下位脱出の一翼を担う覚悟を決めた。

東日本大震災から10年を迎える。震災時は岩手町の自宅被害は大きくなかったが、県沿岸部に実家がある花巻東の仲間からは、想像を絶する当時の苦しみを伝え聞いてきた。「何かを乗り越えた人たちにチャンスは生まれると思えたし、震災のことも含めて、自分も首都圏と地方をつないだり、地域活性化に関わっていきたい」。野球と学業の花巻東史上最高の“二刀流”選手として、故郷に活力をもたらすことも誓う。

佐々木監督も吉報を聞き、「無理に東大を押しつけて、重い荷物を背負わせてしまった気がする。東京に行く度に食事に誘いましたが、皮膚が荒れていって、いたたまれない気持ちにもなりました。決して諦めない花巻東の精神で、本当によく耐えてくれました。感謝しかない。おめでとう、ありがとうと伝えたいです」とたたえた。【鎌田直秀】

◆大巻将人(おおまき・しょうと)2000年(平12)9月10日生まれ、岩手県岩手町出身。浮島小3年時に岩手野球スポーツ少年団で野球を始め、一方井中では盛岡姫神リトルシニアでプレー。花巻東では高3時の18年春8強。165センチ、65キロ。右投げ左打ち。血液型AB。家族は両親と妹2人。得意科目は数学。