DeNAは1989年(平元)6月8日以来となる42試合目での自力V消滅となった。89年当時は10連敗、巨人戦18連敗の泥沼だった。89年6月9日の日刊スポーツ紙面には試合後、ベンチで泣き崩れる高木豊氏の写真とともに、以下の原稿が掲載されました。

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選手会長の高木が試合後、ベンチで泣き崩れた。ロッカー室に帰る選手の顔がカメラマンのフラッシュの中に青白く浮かび上がった。また、負けた。10連敗。対巨人戦は18連敗と、不名誉な記録はまた伸びた。

延長12回、死力を尽くしたが、それでも届かなかった。淡々と話す古葉監督の姿が痛々しい……。「欠端があそこまでよく頑張ってくれたのに……。みんなどんどん思い切っていってくれたんだ」。それ以上説明しようもなかった。連敗地獄からの脱出をかけた試合。これまで「うちの4番は彼しかいない」と全幅の信頼を置いていたポンセを、2年、278試合ぶりに4番から外した。つながりのない打線にカツを入れるためだった。しかしポンセに復活の片りんさえ見られなかった。

1度は逆転を許したが、7回には代打加藤の殊勲打で同点に追いついた。意地の同点シーンだった。好救援を見せていた欠端が、延長12回2死から伏兵上田に「まさか!」の1発を見舞われた。しかし、3連投で、そのうえ8回の無死一、二塁のピンチをしのぎ、11回にはスクイズも切り抜けた男を、だれが責めることができるだろう。古葉監督は「スーッと(ストライクを)取りにいったところを打たれたねえ……」とだけ口にした。

もう15日間勝ち星がない。最後まで観戦した久野球団社長はそれでも「古葉サンにも選手にも粘りが出てきたね」と、慰めの言葉を残して球場をあとにした。大洋は今日から北海道、名古屋、大阪、北陸へ2週間の長期ロードへ旅立つ。トンネルを抜けるのはいつの日か。(89年6月9日紙面より 所属、敬称などは当時のものです)

 

◆最下位に終わった89年の大洋の主なスタメンとシーズン成績

1番二塁 高木豊(2割7分8厘、5本塁打、31打点)

2番三塁 銚子利夫(2割8分1厘、2本塁打、26打点)

3番右翼 ポンセ(2割6分4厘、24本塁打、81打点)

4番左翼 山崎賢一(3割9厘、7本塁打、56打点)

5番一塁 パチョレック(3割3分3厘、12本塁打、62打点)

6番中堅 屋鋪要(2割6厘、2本塁打、10打点)

7番遊撃 高橋雅裕(2割2分4厘、2本塁打、27打点)

8番捕手 市川和正(2割3分2厘、5本塁打、19打点)

9番投手 欠端光則(9勝10敗)

監督 古葉竹識監督

 

◆89年のセ・リーグ勝敗表

(チーム名の右から試合数、勝利、敗戦、引分、勝率、ゲーム差)

1巨  人 130 84 44 2 .656

2広  島 130 73 51 6 .589 9.0

3中  日 130 68 59 3 .535 15.5

4ヤクルト 130 55 72 3 .433 28.5

5阪  神 130 54 75 1 .419 30.5

6大  洋 130 47 80 3 .370 36.5

 

◆89年の大洋 47勝80敗3分け、勝率3割7分で最下位に終わり、優勝の巨人とは36・5ゲーム差だった。打率でパチョレックが2位、山崎が5位に入ったが、チーム本塁打は12球団ワーストの76本。10連敗と11連敗を喫した。巨人戦は88年から18連敗を記録した。シーズン終了後、古葉監督は5年契約の3年目で退任した。