巨人内海哲也投手(30)が日刊スポーツに手記を寄せた。優勝決定試合に先発し6回4失点。粘りの投球でハーラー単独トップの14勝目をマークした。旧態依然としたチームの改革を志し、コツコツと成し遂げつつある選手会長。入団9年目の今季、杉内という金看板が加入し…。国内FA権を取得した生え抜きのエースが、洗いざらい本音を記した。

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選手会長として、まずはお礼を言わせてください。ファンの皆様のおかげで優勝することができました。ありがとうございました。

晴れの日に、ふさわしくないかもしれない。誤解を招くかもしれない。でも、今思うことを正直に記したい。

9年前、祖父と同じ巨人軍のユニホームに袖を通した。ようやく夢がかなった。うれしくて仕方なかった。でも想像していたのとはまったく違う世界、例えるなら暗黒時代とも言える雰囲気が、そこにはあった。

エースと呼ばれる先輩方は一国一城のあるじとしてそびえ、寄せ付けないオーラを放っていた。若手が気軽に会話するなんてとんでもない話。常にピリピリした空気が漂い、恐怖すら感じた。俗に言う派閥もあった。誰かと話すだけで「内海はあっちについた」とささやかれたりした。あこがれが大きかった分、ショックだった。1日も早く力を付けて軸となり、新しい巨人を築こうと誓った。

入団後の数年間、苦しかった。慕っていた高橋尚成さんが抜けた2年前から、グアム自主トレのリーダーを引き継いだ。あの頃に戻るのは絶対に嫌だ。自分が引っ張るんだ、と決意を固めた。

年下の選手を名前で呼ぶことから始めた。名字よりうれしいだろうし、親近感が湧くかなと。ちなみに「ゆうき」は今年、小山、江柄子、久米、古川と4人もいる。手の内も隠さなかった。調整法、精神のコントロール、ロッカー室での振る舞い。見て学んでほしかった。聞かれれば何でも答えた。練習での妥協も一切やめた。半分は自分のため、半分は後輩に見てほしいからだった。

荒野をさら地にして「内海城」の骨組みを築いている最中に、杉内さんが加入した。

バリバリの日本人FA投手で、同じ先発左腕。突然、隣に六本木ヒルズが建ったように感じた。去年最多勝は取ったけど、まだ物足りないと思うし、球団もそう感じたのだろう。「オレじゃ力不足なのかな」。情けないけど、素直な心境だった。

一方で、尊敬の念を抱き、期待する自分もいた。WBCではすごさを肌で感じていた。間近で見て、もっと成長できるかもしれない。投手としての純粋な欲望もあった。そんな気持ちのはざまで揺れた。

でも取るべき行動は分かっていた。野手は阿部さんがいる。投手は僕だ。先輩にあだ名をつけるのは失礼かもと覚悟しつつ「トシ兄」って勝手に呼んだ。杉内さんには自分の生意気を受け止めてくれる懐があった。みんなも一緒になり、呼び始めてくれた。新人でも誰でも遠慮せず、堂々と力を発揮できる環境になっているなら一番うれしい。「内海城」はまだ平らな1階建ての城でしかない。でも、階が分かれているよりよっぽどいい。広いフロアにみんな一緒。「雑魚寝ジャイアンツ」で最高だ。

お礼を言いたい方が2人いる。昨季まで投手コーチだった小谷正勝さん。辞められた時は、めっちゃ寂しかった。また指導していただける日が来ればいい、とずっと願っている。みんなお世話になっているし、同じ気持ちだと思う。

原監督には感謝しかない。ニセ侍に突発性四球病。当時はつらかったけど、笑って振り返ることができる。未熟で苦しんでいる時期に、ずっと「お前が必要なんだ」と励まして、使い続けてくれた。だからこそ今がある。

押しつぶされそうだった自分を温かく見守ってくれた恩に、日本一で報いたい。(巨人投手)

◆ニセ侍と突発性四球病 09年はWBC日本代表だったが、開幕から未勝利が続き、原監督から「このままでは『ニセ侍』だ」と言われた。08年は12勝をマークしたが、突然の四球から降板することが多く「突発性四球病」と揶揄(やゆ)された。