中日は6日、5年目右腕の木下雄介(きのした・ゆうすけ)投手が3日に名古屋市内で死去したと発表した。27歳。大阪市出身。家族の意向もあり、死因や通夜、葬儀日程などは伏せられた。球団によると、ナゴヤ球場で右肩のリハビリを行っていた7月6日に倒れ、入院していた。現役選手の突然の死に、チームは深い悲しみに包まれた。

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あまりにショッキングな知らせだった。中日加藤宏幸球団代表(61)が6日、ナゴヤ球場で緊急会見。「当球団の木下雄介投手が7月6日の練習中に倒れ、8月3日に亡くなった」と苦渋の表情で明かした。「ご家族の強い意向」もあり、入院からここまで一切の公表を控えてきたという。通夜や葬儀日程、病名、死因など詳細は伏せられ、ナインへの取材自粛を求めた。

木下雄投手は7月6日、右肩のリハビリを行っていたナゴヤ球場で倒れて救急搬送。意識不明の状態が続き、約1カ月間、懸命の治療を続けてきたが、27歳の若さで息を引き取った。

同投手は6月28日、親会社の中日新聞社の職域接種で、新型コロナウイルスの1回目のワクチン接種を受けた。接種から8日後の事案で、因果関係は不明。加藤代表は「そのことは私の方から答えることはありません」と話すにとどめた。

開幕前は好調だった。150キロ近い直球が武器の救援投手として、与田監督の期待も大きかった。だが、3月21日の日本ハムとのオープン戦(バンテリンドーム)で投球した際に右肩を脱臼。選手生命の危機に陥った。だが再びマウンドに上がることを目指して肩と肘の手術を受け「前向きに取り組めている。マウンドに上がれるように頑張る」とリハビリに励んでいた。

何度もはい上がってきた野球人生だった。故障もあって駒大を中退したが、アルバイトしながら生活するなど一度は野球から離れた。だが2年のブランクを経て四国IL・徳島でプレーを再開。無名ながら力のある直球がスカウト陣の目を引き、妻子を連れて16年育成1位で中日に入団した。

18年に支配下登録されると150キロ超の真っすぐを主体に奮闘。元阪神藤川球児氏から「中日の藤川になれる」と期待された。だが、翌19年に父の隆さんを交通事故の巻き添えで亡くす悲報。それでも「妻と子どものために」と立ち上がった。20年の沖縄北谷キャンプでは、与田監督の紹介で野茂英雄氏から直伝フォークを授かるなど、誰もがその将来を嘱望していた。

現役仲間の訃報にナインのショックも計り知れない。与田竜が衝撃と深い悲しみに包まれた。【伊東大介】

◆木下雄介(きのした・ゆうすけ) 1993年(平5)10月10日生まれ、大阪市出身。生光学園では甲子園出場なし。駒大進学も1年で中退し、15年に四国IL・徳島と契約。16年育成ドラフト1位で中日入団。2年目の18年3月に支配下登録され、同年4月15日DeNA戦でプロ初登板。20年9月5日ヤクルト戦で初セーブ。今季推定年俸900万円。183センチ、80キロ。右投げ右打ち。