中日、阪神、楽天を率いてリーグ優勝3度、日本一1度を遂げた星野仙一さん(享年70)のゆかりの品を展示し、生まれ故郷の岡山・倉敷市内にあった「星野仙一記念館」が30日をもって閉館した。

最終日のこの日、観光スポットの美観地区にある記念館には200人のファンが駆けつけた。館内には幼少時に母敏子さんに買ってもらったグラブ、倉敷商時代のユニホーム、明大・島岡吉郎監督とのツーショット写真などがディスプレーされた。

中日・島野育夫ヘッドコーチとの写真、阪神で着用したユニホーム、桧山進次郎さん、福留孝介さんら主力選手のサイン入りバット、日本一になった楽天での胴上げ写真など、記念品の約400点を展示、約1000点を収蔵した。

星野さんは地元の倉敷商から明大に進学し、1968年(昭43)にドラフト1位で中日入り。現役時代は打倒巨人をむき出しにして真っ向勝負を挑んだ。「燃える男」はトレードマークだった。

監督としては「闘将」と称され、40歳の若さで中日監督に就くと、2年後の88年にリーグ優勝を成し遂げた。03年は阪神で18年ぶり優勝を達成。08年北京五輪で代表監督を務め、13年楽天で日本一に立った。

その後、楽天副会長としてチームを見守る一方、野球界に多大な影響力をもった。しかし、野球殿堂入りを果たした約1年後の18年1月に急逝。08年に開館した記念館には、星野さんの野球人生が凝縮されていた。

この日は楽天時代の教え子にあたる西武平石洋介打撃コーチ(41)も訪れた。引退後も指導者として薫陶を受けた同コーチは「今のぼくがあるのは星野さんのおかげです」としみじみと語った。

星野さんの展示品は倉敷市に寄贈される。午後4時からの閉館セレモニーで延原敏朗館長(80)に花束贈呈した伊東香織倉敷市長は「星野さんは倉敷の文化とスポーツを引っ張ってくれた方です。この宝物を守っていきたい」と語った。

また同じように花束贈呈した元倉敷商監督の長谷川登OB会長(70)も「星野さんは高校時代からのあこがれの人。メチャメチャ怖い人だったけど、メチャメチャやさしい人でした」と思い出を振り返った。

最後に延原館長が「星野さんは『ここはわしの応接間じゃ』と話していた。苦しいこともありましたが天国で『よぉやった』と言っていただいていると思います」とあいさつ。準備期間から14年、オープンから13年。星野仙一記念館が幕を下ろした。【寺尾博和】