1月4日は星野仙一さん(享年70)を思い出す日。当時の番記者が回顧する。

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写真の中の星野さんは珍しく赤い顔をしていた。

楽天の本拠地・楽天生命パーク宮城の前に、桃山食堂という店がある。創業70年を超える老舗は、イーグルス関係者にも愛されてきた。店内には、訪れた人たちの写真がところ狭しと飾られている。11年から4年間、指揮を執った星野仙一監督も何枚かあるのだが、昨年、久しぶりに店を訪ねたら、そのうちの1枚に目を引かれた。店のおかみさんたちと一緒に穏やかに笑っている星野さんの前に、ビールが入ったコップが置かれているのに気が付いたからだ。

星野さんは、お酒をほとんど飲まなかった。乾杯でなめる程度。明大時代、上級生たちに無理に飲まされて飲めなくなったと聞いた。楽天監督の4年間をまるまる担当したが、確かに飲むのを見た記憶は片手にも届かない。そんな星野さんが楽しそうに飲んでいた。

デーゲーム後の1枚だという。明大野球部の同期の集まり「二十歳の会」の1人、斉藤実喜雄さんが思い出してくれた。「確か、1年目じゃないかな。試合後に球場から直接、来たんだよ。我々が集まっているのを聞いたんじゃないかな」。全国から集まった会のメンバーは、楽天のキャンプや試合を追い掛けていた。仙台では、試合の前か後に桃山食堂で一席設けるのが常だった。

「その日に限って星野が来たんだ。話が弾んで。何を話したかは、よく覚えてないけど、昔話やバカ話。試合の話なんて、あまりしないよ」と斉藤さん。つかの間、監督であることを忘れ、学生時代に戻っていた。桃山食堂での集まりに顔を出したのは、その1回だけだったが、楽しい場が飲めない口に飲ませていた。

私は、いまだに星野さんの夢を見ることがある。最近では、球場で楽天のスカウトと星野さんの思い出話をした日の夜、出てきた。斉藤さんに話したら「僕も夢に出るよね」。その星野さんは、学生だったり、楽天監督だったりするという。「星野とは同じクラスだったんだけど、試験中に助けてくれた。当時の野球部は、授業なんて、ほとんど行けないから。卒業できたのは、星野のおかげ」と懐かしんだ。

星野さんが亡くなって4日で4年になる。1枚の写真が、知らなかった星野さんのエピソードを掘り起こしてくれた。人の記憶は嫌でも薄れていくものだけど、こうして新たに書き加えられるものもある。【11~14年楽天担当=古川真弥】