中国地区大学野球連盟・中国6大学野球の環太平洋大の監督に、野村昭彦氏(53)が11日付けで復帰することが決まった。野村氏は「選手たちの成長を見られる。共に戦える喜びを感じる。頑張っていきたいと思います」と心境を語った。

同氏は元広島監督で野球解説者の野村謙二郎氏の弟で、駒大から日本石油(現ENEOS)を経て、同チーム、駒大のコーチ、13年からは6年間、環太平洋大の監督。14年から4年連続で明治神宮大会に出場。17年4強、18年には準優勝に導き、18年から2年間、大学日本代表のコーチも務めた。

18年11月、明治神宮大会を最後に、父三郎さんの介護を理由に監督を退任。翌年3月に実家の大分に戻っていたが、昨年3月18日、三郎さんが84歳で他界。大橋博理事長から「日本一を取りに戻ってきて欲しい。あなたは兄弟2人、野球で育った。野球に携わることで、亡くなったお父さんも喜ぶのではないですか」と、熱烈なオファーを受けた。野村監督は「これもタイミングと縁なのでしょう。家族の事情も理解してくれた上で。再び声をかけてくれた。その期待に応えたい」と復帰を決断した。

選手たちの思いも、野村監督を後押しした。監督退任時、野球部に残してきた選手たちから、毎年3月になると卒業の連絡が入る。「無事卒業ができました。ありがとうございました」。感謝の言葉に、胸が痛くなった。「最後まで見てやれなかった。喜び半分、悔しさもありました」。3年分の思いを込め、選手たちと向き合う。

農業と指導を重ね合わせる。大分では農業資材(肥料)の販売に携わった。農家は時間をかけ少しでもいいものを育てるために、力を注ぐ。野村監督は「指導も同じ」と話す。「指導も違う角度から、いろいろなアドバイスをしながらやっていくことで、10人だった子が15人、20人と成長する子が増える。社会で活躍できるものの見方、考え方。野球を通じて学んで欲しい」。野球から離れた3年間も指導に生かすつもりだ。

再び選手指導に情熱を注ぐ時がきた。「結果がでることが、もう1度現場に呼ばれたことの答え」と、力がこもる。キャリア豊富な野村監督の手腕が、期待される。