オリックス・オーナーの宮内義彦が、今季限りで勇退する。実に25年ぶりになった昨季のパ・リーグ制覇で、33年も続いたオーナー職に区切りをつけた。球団としても大転換のシーズンで、プロ野球オーナーのなかでも長老格だっただけに、時代の移り変わりを感じずにはいられない。

オーナー就任時からずっと感じていた宮内の印象は“顔は笑っても、メガネの奥の目は笑っていない”というものだった。リース業から銀行、不動産、生命保険など事業拡大に転じ、トップ企業に成長したプロセスが、視線の鋭さに表れた。

特に手ごわい取材は、プロ野球界が激しく揺れた04年(平16)の「球界再編」だった。近鉄・オリックス合併に端を発し、パ・リーグが消滅、プロ野球界は「1リーグ制導入」の流れに大きく傾いた。これを支持し、主導した1人が宮内だった。

巨人渡辺恒雄、西武堤義明、ロッテ重光昭夫ら、複数の大物オーナーがうごめいた。IT企業ライブドアが近鉄買収に名乗りを上げ、堤が「もう1つの合併」の進行を示唆、選手会のスト決行。現場はスポーツ記者だけでなく、政治・経済担当が入り乱れた。

数年前、取材に応じた宮内は「日本経済がかなり厳しい時期で、それが再編につながった。企業というのは身の丈にあった事業しかできない。12球団を連結決算すると赤字なわけで、しかし、1つだけ減らすわけにはいかないから、球界を健全な事業体質にするためにも、一旦10球団にするのがいいと考えた」と振り返った。

パ・リーグは年間40億円の膨大な赤字を計上する球団がでるなど経営が立ち行かなくなっていた。前後期制、DH制、予告先発、月曜日に試合をするマンデー・パリーグなど、独自色を打ち出すが観客動員は伸び悩んだ。万策尽きた象徴が、近鉄・オリックス合併だったのだ。

宮内は「とにかくプロ野球全体をビジネスとして成り立たせることが必要だと思った」という。1リーグ制導入は成就しなかったが、日本ハムの札幌移転、ソフトバンク、楽天の参入で球団の地方分散化、地域密着が進んで、パ・リーグは新時代に突入していく。

1988年、宣伝効果を狙ったCI(コーポレート・アイデンティティ)戦略として阪急ブレーブスを買収して以来、オーナーとしてプロ野球経営に携わってきた。昨年最後になったオーナー会議後、今後のプロ野球界に触れた。

「これからは余暇社会になっていくし、野球ビジネスには大きな将来がある。ネット社会の中のプロスポーツは今よりずっと大きなエンターテインメントになると信じている。そのポテンシャルをどのように広げるかが球界の課題だろう」

コロナ禍で先が見通せないシーズンに、名物オーナーは今後の成長へのヒントを残すことも忘れなかった。(敬称略)