歴史的なホームランには必ず、打たれた相手がいる。9年前、初めて王を超え、シーズン60本塁打をマークしたヤクルト・バレンティン。この大砲と対峙(たいじ)した男たちの胸には、何があったのか。2人目の王超えを遂げた村上への思いとともに明かした。

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13年9月15日。ヤクルト・バレンティンが神宮球場で56号、57号を放った。打たれたのは、当時阪神の投手で、現在西武の球団本部ファーム・育成グループバイオメカニクス兼企画室アライアンス戦略を担当する榎田大樹氏(36)。王の55号を越え、さらに浴びたもう1発を、プロ野球の世界を戦ってきた証明と受けとめていた。

「プロでやってきた証しと言いますか、記録、映像に残ることってなかなかないじゃないですか。そのタイミング、場面にいるのは、まず1軍で投げていないと実現しないですから」

今も鮮明に記憶に残る。あの試合は台風が接近し開催が不安視されたが、実際は晴れ間が広がった。「風が強く、あまりない球場の雰囲気」だった。ただ、バレンティンは特別に意識しなかった。自身が勝てない投球が続いていた中での一戦。「結果を出したい」との思いが先行していた。1回2死二塁。56号は外角を狙ったシュートが曲がりきらず、甘く入った。投じた軌道が分かった瞬間、「やばい」と直感した。案の定、左中間に運ばれた。3回1死で食らった57号はカウント3-0からの内角へのスライダー。「レフトフライだと思った」打球は、強く吹く風に押され、左翼ポール際のスタンド最前列で弾んだ。

村上が55号を放った後、複雑な感情が交錯したという。まず、日本選手新記録を応援したい思い。同時に56号が生まれれば、今までは自分だけだった、大記録のアーチを浴びた投手も2人になる。「超えて欲しい気持ちも。でも…あまり超えて欲しくない気持ちも」。打たれた投手でさえ、そう言うほど大切にしている瞬間。それが55号の先にある世界だ。【上田悠太】