マサカリ投法で知られる、プロ野球元ロッテ投手として活躍した村田兆治さん(72)が11日午前5時57分に亡くなった。警視庁によると、東京都世田谷区の住宅火災で搬送され、この家に住む村田さんと確認された。死因は煙を吸ったことによる一酸化炭素(CO)中毒とみられる。

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人を見極める「コントロール」は、剛速球に勝るとも劣らない魅力だった。村田兆治さんとは15年ほど前に、弊社が後援する講演会で講師をお願いした。会場は地方の中学校。村田さんは懐に硬球をしのばせている。何に使うんだろう。

ステージに上がった村田さんは、努力の大切さやチームワークの重要性を説き始めた。とはいえ聴いているのは中学生である。私語が始まり、少し会場がざわついた。すると村田さんが大声を出した。

「おい、そこの君。立ちなさい。今から私が、150キロの速球を投げる」

指さしされた男子生徒が、おずおずと立ち上がる。村田さんは先ほどの硬球をおもむろに取り出し、往年のフォームでふりかぶった。悲鳴、そして絶叫。生徒や教職員、保護者らを合わせ、数百人の会場は騒然となった。歴戦の強打者たちを恐怖に陥れた、あのマサカリ投法で第1球!

村田さんが投じたのは…山なりの遅い球だった。フワ~ッという、締まりのない音さえ聞こえてきそうな。もちろん、立たされた中学生は難なく素手でキャッチ。会場には安堵(あんど)の空気が流れ、笑いに包まれた。再開後の講演では、おしゃべりする中学生は全くいなくなった。

その後で、教職員の方々が口々に驚いていた。

「村田さんがあの子を選んでボールを受けさせたのには、びっくりしました。クラスでも中心的な存在で、彼に影響されてクラスの雰囲気が変わったりすることが多いんです。瞬時にムードメーカーを見つけて、ああいった行動をなさるなんて」

大けがを乗り越え、積み重ねた215勝。剛速球のイメージが強い名投手は、目配りと瞬時の判断力を併せ持った人物だった。【記録室=高野勲】

【村田兆治さん写真特集】マサカリ投法で215勝 往年の勇姿を振り返る