ロッテ担当記者を務めた3年間、いろいろあった。完全試合も目撃したし、警察署にも電話した。川崎球場跡地からZOZOマリンまで歩いたりもした。やり切った感はある。悔いを挙げるならば、種市篤暉投手(24)の躍動に立ち会えなかったことだ。
初対面からして、私は失礼千万だった。16年秋のドラフト会議当日。当時、日刊スポーツ販売局で東北担当をしていた私は、東北総局の1日助っ人記者として、岩手から青森へ車を走らせた。行き先は八戸工大一高。詰め襟姿で純朴そうな高校3年生の種市が、ドラフト会議を待っていた。まずは名刺を渡した。
もう1つ、会社からのミッションがあった。その日、同校から1キロ弱離れている八戸学院光星高でも、田城飛翔外野手(3年)がドラフト指名を待っていた。候補選手は広大な東北の各地に点在し、取材記者の数にも限りがある。1日助っ人の私が任されたのは「種市と田城、2人のドラフト指名取材を行う」だった。
そんなわけで八戸工大一に車を置かせていただき、田城のもとへあいさつに。約10分。スーツで歩くと実際より長い距離に感じる。冷気をたっぷり吸い込んで光星に到着した私に、田城は「本日はわざわざありがとうございます」とお茶までいれてくれた。指名は種市の方が先、という情報を得ていた。とはいえ、そこまでもてなしていただくと、営業マンの誇りにかけて簡単には辞去できない。
八戸学院光星の1部屋で、運命のドラフト会議が始まった。田城は仲井監督にちょくちょくいじられつつ、吉報を待っている。早く指名されてほしいな-。せっかくのご縁。心から願ったし、大人の事情的にも「早く」と願った。やがて私が焦る。画面に出た。「千葉ロッテ6位 種市篤暉 投手 八戸工大一」。
目をつぶった。今ここで立ち上がるのは、社会人としてどうなのだろう。でも業務遂行するには、種市のもとに戻るべきではないだろうか。今すぐ田城が指名されれば、両方をハシゴできるかも-。結局、葛藤への正解が出ない。田城の指名はないまま、支配下選手のドラフトは終わった。小休憩。私は心の中でわびて八戸工大一へ駆けた。
確か雪も残っていて、気にせず走った。種市の会見はひと通り終わり、仲間からの胴上げが始まっていた。関係者にわびる。「せっかくお越しいただいたので」と取材を許してもらえることになった。ありがたい。でも。「申し訳ありません、あと15分だけお時間をいただけませんか?」。
快諾をいただき、また走った。写真撮らなきゃ。スポーツ紙っぽく。八戸の冷気はさすがにしんどい。社会人になってから、あの時ほど走ったことはない。近所の商店でロッテのお菓子を爆買いし、ぜいぜいと声にしながら戻った。
白い息を吐いていた種市は温かく、単独取材に応じてくれた。爆買いしたお菓子は、チームメートたちに持ってもらって写真撮影。「自分、本当に写真撮られるの苦手なんです…」。笑顔を求めると、なぜかウインクでお菓子をかじってしまう18歳。お菓子はそのまま野球部員たちに差し入れ。喜んでもらえて何よりだった。取材はかなわなかったが、田城のソフトバンク育成指名を知って、ホッとした。
そこから4年少々が過ぎ、だいぶ大人びた種市に再会したのが21年新春。「あ、あの時、走ってましたよね!」。バタバタした変な大人を覚えてくれていた。「またよろしくお願いします!」。
種市は後日、ドラフト当日のことを「ドラフト6位なので1時間半くらい待ちました。待っている間の記者会見場の雰囲気がだんだん重くなってきて、つらかったです」と回想している。こちらの勝手な都合で、指名後に至るまで待たせてしまったおわびに、活躍の記事で倍返ししたかった。私にとっても、二択の難しさに迫られ、仕事人としての生き様や振る舞い方を考えさせられたあの日。来季は本格的に先発復帰。かげながら期待したい。【金子真仁】



