野球殿堂入りを、ゲッツ! ヤクルト、巨人、DeNAで計13年プレーし、外国人選手として史上初の通算2000安打を達成した、前DeNA監督のアレックス・ラミレス氏(48)がプレーヤー表彰で野球殿堂入りを果たした。

メジャーリーグから日本のプロ野球に移り殿堂入りするのは、エキスパート表彰で選ばれたランディ・バース氏(68)とともに初めてになった。

   ◇   ◇   ◇

「喜んで! ゲッツ!」

会見場を去ろうとしたラミレス氏が突然、大声を上げた。報道陣に向かって両手でポーズを決め、フェードアウト。通知式も会見も、厳かに「感謝」と繰り返してきたが、最後はラミちゃんらしく締めくくった。

パフォーマンスにこそ、日本で成功できた秘密が詰まっている。来日1年目、01年の沖縄・春季キャンプ初日。ヤクルトのチームメートたちから、志村けんさんの「アイーン」を教えられた。「今でも、はっきり覚えてます。その時は正直、何が面白いのかと思ったのですが。球場の外でファンにやったら、すごく受けました。日本でのスタート初日にファンが受け入れてくれたことが大きかったです」と懐かしんだ。

来日前にメジャーでも3シーズン、プレー。「日本で野球を教えてあげよう」。そんな気持ちだったという。ところが1年目の序盤、なかなか結果が出ない。「若松監督が我慢してくれた」が、自分でも気が付いた。「日本の野球はメジャーとは異なる。適応しないといけない。日本の文化を尊重し、学んだから結果を残せました。自分を変えられたのが大きかった」。日本食は何でもトライ。キャンプ初日、わけの分からないパフォーマンスにもトライした姿勢は、その後の成功につながる1歩だった。

ベネズエラ出身者の殿堂入りは、米国で選ばれた通算2677安打のルイス・アパリシオ氏(レッドソックス)以来2人目。ラミレス氏は19年に日本国籍を取得した。今後を問われ「野球界を盛り上げたい。野球人口が減少している。恩返ししたい」と真っすぐな思いを語った。【古川真弥】

◆アレックス・ラミレス 1974年10月3日、ベネズエラ生まれ。大リーグのインディアンス、パイレーツを経て01年ヤクルト入団。08年に巨人、12年にDeNA移籍。「アイーン」「ゲッツ」など芸人のパフォーマンスでも人気を集めた。首位打者1度、本塁打王2度、打点王4度、最多安打3度、ベストナイン4度。08、09年に連続MVP。07年に外国人として、また右打者で史上初のシーズン200安打。13年に外国人初の通算2000安打。13年に退団後、14年からルートインBCリーグ群馬のコーチ兼選手、オリックスの巡回アドバイザーを経て16年~20年にDeNA監督を務めた。19年1月に日本国籍を取得。現役時代は180センチ、100キロ。右投げ右打ち。

◆競技者表彰の選考経過 プレーヤー表彰ではラミレス氏が資格5年目で殿堂入りした。過去3年は200~230票にとどまっていたが、今回得票数を前年より81票も増やした。アメリカでプレーしたのち、日本で活躍して殿堂入りした先人には与那嶺要氏がいるが、大リーグ経由の外国籍選手としては初。得票数2位の谷繁元信氏は当選必要票数に14票届かなかった。同3位の黒田博樹氏とともに次の殿堂入りに最も近いところにいる。

3年ぶりに当選者の出たエキスパート表彰のバース氏は、ラミレス氏と同じく大リーグ経由の外国籍選手としては初の殿堂入り。プレーヤー表彰では選出されなかったが、2013年に同表彰の候補に入ってから、11年目にしてようやく選ばれた。かつての同僚・掛布雅之氏は得票数2位も当選に14票足らず、同時顕彰とはならなかった。

◆外国人選手枠 1936年(昭11)にプロ入りし、60年殿堂入りのスタルヒンはロシア生まれ北海道育ち。51年巨人に入団し、94年殿堂入りの与那嶺要は米ハワイ生まれ。戦前は外国人の制限はなく、外国人枠ができたのは52年から。

野球協約では「日本国籍を持たない者は、外国人選手とする」とあるが、適用外となる場合がいくつかある。選手契約締結以前に、(1)日本の中学、高校などに通算3年以上在学(2)日本の大学に継続して4年以上在学または在籍(3)日本に5年以上居住し、かつ日本野球連盟に所属するチーム(社会人野球)に通算3年以上在籍(4)NPBでFA権を取得(5)前記(1)(2)の在学、在籍年数に満たない選手がドラフトを経て入団し、在学年数と支配下選手としての年数の合計が5年になった者。