「かくしゃく」という言葉がぴったりな86歳だった。

19年8月、夏の日差しが降り注ぐ神宮球場のグラウンドに、中西太氏(日刊スポーツ評論家)の姿があった。ベージュのシャツと、色を合わせた涼しげなハット。視線の先には、試合前練習でバットを振るヤクルト村上宗隆内野手がいた。

「頑張ってるか。取材に来たんだよ。お前のおかげで、俺の記事が出てるよ」

中西氏は、練習の合間にあいさつに訪れた村上に声をかけて握手。コーチを交えながら、打撃について話し込んでいた。

当時、村上は高卒2年目。キャンプとオープン戦を通じてアピールして初めて開幕戦のスタメンをつかみ、そこから全試合に出場していた。主軸として定着し、一気に飛躍したシーズンだった。

「高卒2年目以内で最多の53年中西(西鉄)」という一文が、連日掲載された。村上が、高卒2年目の中西氏がマークした記録を塗り替えていったからだ。最終的には36本塁打、96打点をマーク。高卒2年目以内の36本塁打は53年中西氏に並ぶ最多本数で、打点は53年中西氏の86打点を抜いて最多だった。

とても86歳とは思えないパワーで、都内の自宅から「散歩で神宮まで歩くこともあるんだよ」とおっしゃっていた。身近なところに出現し、自らの記録をどんどん塗り替えた若者を、心から歓迎していた。【保坂恭子】