世田谷西シニア(東京第3代表)が静岡裾野シニア(東東海地区代表)を4-1で破り4年ぶり3度目の優勝を果たした。

決勝の舞台も投手戦になった。世田谷西の右腕・安藤丈二(3年)、静岡裾野の左腕・宮澤和聖(3年)の投げ合いは5回まで0-0。球数制限の80球にとどいた安藤が5回のマウンドを降りると「そろそろ点を取ろうぜ!!」とベンチに声をかけた。

これが、号砲になった。6回表、矢口翔大(2年)が死球で出塁、仙波晴弥(3年)が犠打で1死二塁。ここで、静岡裾野は宮澤からショートを守っていた「背番号1」伊藤漣(3年)にスイッチした。世田谷西のベンチでは吉田昌弘監督が楽しそうに声をかけた。「さあ、このピッチャーだぞ!」。昨年秋のリトルシニア関東大会を制した伊藤こそ、この世代を代表するエースだ。最高の投手を攻略して日本一になろう。ナインの集中力はMAXになった。

一方で伊藤は決勝の舞台に臨む前から言葉にならない緊張を感じていた。決勝前日に休養日が設けられ、舞台は炎天下から一転しての東京ドーム。「経験のない環境なのか、何なのか圧迫される感じがして…」。それだけが原因ではないだろうが、マウンド上でタイムがかかっていると思い、軸足を動かしたところ、ボークをとられて1死三塁。無敵のエースは絶体絶命だった。

打席の大寶瑛都(3年)へのベンチの指示は「バットに当てろ」だった。強打が伝統の世田谷西でも、場面によってチームバッティングに徹する練習にも取り組んでいる。大寶は「とにかくゴロを狙いました」と力を抜いて直球にバットのヘッドをかぶせると、二塁前に高く弾んだゴロに。矢口がバックホームをかいくぐり(記録は野選)先制の1点が入った。

坂本将平(3年)が中前打、遠嶋康大(3年)は右飛で2死一、二塁。球速も130キロを超え、伊藤が本領を発揮し始めた。打席には4番安藤。伊藤と杉山育夢主将(3年)のバッテリーが勝負球に選んだのは内角高めの直球。狙い通りの1球だったが安藤がとらえた一撃はレフトを越えた。伊藤が「うまく打たれたと思います」と相手の技術を認める2点二塁打だ。森田竜平(3年)も左前打で続き4点目。試合終盤になると得点する。今大会の「セタニシ」の粘り強さは決勝でも発揮された。

2番手大矢球道(2年)が7回に1点を失った。2死一、二塁で打席に3番伊藤。吉田監督の脳裏に「伊藤君の同点3ランがよぎった」というクライマックスは、大矢が見逃し三振で逃げ切った。

神宮球場を決勝の舞台にしたリトルシニア日本選手権に続き、今大会の東京ドームの決勝も制覇した。1週間後の8月28日に中学硬式野球5団体の今夏の全国大会優勝の5チームが集まる「エイジェックチャンピオンシップ」が行われ、決勝戦の舞台は29日に阪神甲子園球場が用意された。1カ月で3つ目の全国大会となるが吉田監督は「立派な試合を用意していただけるのを感謝するだけです。うちの選手も楽しみにしていますよ」と過密日程に立ち向かう。

試合後、静岡裾野の伊藤は「申し訳ない気持ちです」と絶対エースが得点を許し、好機で最後の打者になったことをわびた。切れのいいクレバーな投球で、何度も快投を演じてきた。準決勝もイニング途中にショートからリリーフした。佐藤裕徳監督は「伊藤で負けたなら仕方ないです。難しい場面でよく投げてくれました」と笑顔でたたえた。