巨人原辰徳監督(65)が今季限りで退任することが3日、分かった。監督通算17年目の今季は4位にとどまり、2年連続でCS進出を逃した。同一監督の2年連続Bクラスは球団史上初という屈辱を突きつけられた。19年からの第3次政権では19、20年とリーグ2連覇に導いた。21年オフに新たに3年契約を結んだが、最終年となる来季を待たずに身を引く。新監督は阿部慎之助ヘッド兼バッテリーコーチ(44)の内部昇格が決定的となった。

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原監督が退任することが決まった。開幕前に「ジャイアンツは今年が89年目。88年の歴史の中でもワーストに近い年だったという自負はしようと。大惨敗の反省、教訓を生かして今季に臨むということです」と言った。昨季のBクラスを大惨敗と受け止め、今季はスローガンに「奪回」を掲げた。だが、2年連続で4位Bクラスにとどまった。

球界屈指の名将として伝統球団の歴史をけん引してきた。02年に長嶋監督(現終身名誉監督)から指揮を引き継いだ。1年目からリーグ優勝、日本一に導いた。3位だった03年シーズン後に退くも、06年から再登板。第2次政権は15年までの10年間で6度のリーグ優勝、2度の日本一と黄金期を築いた。19年からの第3次政権の1年目からリーグ連覇に導き、常勝の風を吹き込んだ。

81年にあこがれの巨人軍に入団した。80年ドラフトで当時の藤田監督がクジを引く光景を「『俺は絶対にジャイアンツに入る』と疑わなかった」と確信で見守った。相思相愛での入団から95年の現役引退まで15年間の輝かしい活躍は、若大将の愛称で親しまれた。99年からコーチとして入閣し、ミスターの下で3年間、帝王学を学んだ。

今年の2月1日、宮崎キャンプ初日だった。青島神社で必勝祈願の参拝を終え、桟橋を歩きながら言った。「プロ1年目、強い逆風だった。これがプロの世界かと。それは今でも覚えている」。選手、コーチ、監督として35回も往復した桟橋で受けた、強い向かい風は一時たりとも忘れなかった。だから、複数年契約にも常々「この世界は1年1年が勝負。そういう世界だということは重々、理解している」とプロの厳しさを貫いた。

後任は阿部ヘッド兼バッテリーコーチの内部昇格が決定的となった。

19年に現役を引退し、20年から2軍監督を2年間歴任。高卒ルーキーだった秋広らの下地を育てた。昨季は1軍作戦兼ディフェンスチーフコーチ、今季はヘッド格として原監督の参謀役を務めてきた。現役時代は主将、4番、正捕手の三役を担い、長きにわたってチームをけん引してきた。

ともにプレーしたベテランの長野、坂本、岡本和らから兄貴分として慕われ、元来のリーダーシップには定評がある。チーム内の陣容も把握しており、適任といえる。球団史上最多勝利数を誇る原監督から、伝統が詰まった重たいバトンが次世代へと引き継がれる。

◆原辰徳(はら・たつのり)1958年(昭33)7月22日、福岡県生まれ。東海大相模で甲子園4度出場。東海大を経て80年ドラフト1位で巨人入団。1年目に22本塁打で新人王。83年打点王、MVP。ベストナイン5度、ゴールデングラブ賞2度。95年引退。99年にコーチで巨人復帰。02年監督就任し、日本一。03年退任も06年復帰し、2度のリーグ3連覇。15年退任後、19年に3度目の就任。同年からリーグ連覇。20年に川上監督の1066勝を抜き、監督通算勝利数で球団最多に。09年WBCでは日本代表を率いて世界一。02、09、12年正力松太郎賞。18年野球殿堂入り。180センチ、86キロ。右投げ右打ち。

◆阿部慎之助(あべ・しんのすけ)1979年(昭54)3月20日生まれ、千葉県浦安市出身。安田学園-中大を経て、00年ドラフト1位で巨人入団。01年に新人捕手でチーム23年ぶりに開幕先発出場し、初打席初安打初打点。04年4月に当時の日本記録に並ぶ月間16本塁打。09年日本シリーズMVP。12年は首位打者、打点王、最高出塁率に輝き、MVP、正力松太郎賞。ベストナイン9度、ゴールデングラブ賞4度。19年引退し、翌年から2軍監督。22年から1軍コーチで、今季はヘッド兼バッテリーコーチ。180センチ、97キロ。右投げ左打ち。

★巨人の歴代監督★

初代  三宅大輔

2代目 浅沼誉夫

~~~公式戦開始後~~~

3代目 藤本定義

4代目 中島治康

5代目 藤本英雄

6代目 中島治康

7代目 三原修

8代目 水原茂(円裕)

9代目 川上哲治

10代目 長嶋茂雄

11代目 藤田元司

12代目 王貞治

13代目 藤田元司

14代目 長嶋茂雄

15代目 原辰徳

16代目 堀内恒夫

17代目 原辰徳

18代目 高橋由伸

19代目 原辰徳

※代理、代行を除く

【一覧】プロ野球12球団 戦力外 退団 移籍 引退選手など