日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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日本シリーズ初戦は阪神が勝利を収め、2戦目はオリックスが逆襲に出た。1985年阪神日本一監督・吉田義男は、この2試合をどう見たのか。顔を合わせた途端に「失策が出ましたな」とつぶやいた。

特に、守備には厳しい視点に立つ人で、岡田彰布も「『守りで攻めろ』と教えられたのは、吉田さんが初めてだった」と認めるほどフィールディングにはうるさい。

現役時代に“牛若丸”とと命名され、まるで曲芸師のような動きを見せた。守りにこだわる吉田だから第2戦で古巣にミスが相次いだことに膝をたたいて残念がった。

「口では“当たり前を、当たり前に”というが、言うは易しで、実は難しい。口酸っぱく言い含めても、すぐに忘れがちです。岡田はそれを徹底し、チームに浸透できたから勝ち抜けた。日本シリーズもシーズン通りにと思ったところでミスが出てしまった。そこが気がかりなんです」

実は、名選手だった吉田は“シリーズ男”でもあった、初めて日本シリーズに出場した62年(対東映)の計16安打はシリーズ記録だ。守備の人が、打撃の人として名を残しているのは意外な事実といえる。

しかも、“関西シリーズ”になった64年(昭39)の南海戦もフル出場し、さらに85年は監督で日本一に立っているから、「一寸先は闇」の短期決戦を知り尽くしている。

そのプロフェッショナルが「あのプレーで見直した」と高く評価したのは、第2戦の4回、オリックスのショート紅林弘太郎がみせた併殺プレーだった。

「小柄なわたしは、よく大型遊撃手の広岡さんと比較されました。紅林も体は大きいが、ショートとしての動きに無駄が少ない。守備範囲も広い。肩も強い。一塁走者の中野も足が遅いわけではないから、併殺ができると読んだとっさの判断力は見事だった。ちゃんと準備していないと出来ないプレーです」

元プロ野球監督、NHKの野球解説で元祖となった小西得郎は「広岡は絹糸なら、吉田は麻糸」と表現した。4回表無死一塁、森下のゴロをさばいた紅林は、二塁西野真弘に送球して間一髪でアウト、一塁セデーニョにわたって併殺を成立させた。

吉田は「オリックスが3回に1点を先制し、その後すぐに巡ってきた阪神のチャンス到来でしたから、試合の流れを左右する分岐点になった」とほめた。

第3戦以降の行方には「わからんところに勝負の面白みがあるんと違いますか」と1度ははぐらかしたが、続けざま「第5戦がカギ」と付け加えた。

それは自身が監督だった85年、同じように〇〇でスタートした末の結末を思い返したからだろう。百戦錬磨の男は「どちらに転んでも紙一重」と、ここからの日本シリーズは接戦になると予言するのだった。(敬称略)