大型連載「監督」の第9弾は、今年90周年の巨人で9年連続リーグ優勝、9年連続日本一のV9を達成した川上哲治氏(13年10月28日逝去)を続載する。「打撃の神様」だった名選手、計11度のリーグ優勝を誇る名監督。戦前戦後の日本プロ野球の礎を築いたリーダーは人材育成に徹した。没後10年。その秘話を初公開される貴重な資料とともに追った。

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岐阜・伊深(いぶか)の里は雨降りだった。川上が参禅したことで知られる正眼寺(しょうげんじ)に通じる一本道を歩いた。禅僧を養成する専門道場には厳粛な時間が流れていた。

現役引退の意向を固めた川上は、正力松太郎の紹介で、正眼寺の老師だった梶浦逸外の教えをいただくことになった。12月恒例の特別に厳しい修行期間に定められた「大接心(おおぜっしん)」に毎年参加し続ける。

その出会いが不滅の9連覇につながっていく。ひたすら厳しい坐禅と向き合うことで、生き方、勝つ術を見つけるのだった。寺での生活のすべてが修行で、無我無心に徹することが名将への道程だった。

川上 何十年と老師のご指導を受けてきたが、そこで教えていただいたすべてが、後の巨人軍のチームプレー、V9の基盤になったと思っています。自分たちは1人で生きているのではない。自分以外の森羅万象すべての恩恵をいただいて生かされるのです。これもまたチームプレーの根本ともいえるでしょう。

禅の世界で面接試験にあたる相見(しょうけん)で、逸外から「いくら正力さんに頼まれても、真剣に修行する覚悟がなければお断りするつもりでした。でもお話を聞いてみると、一生懸命やってきたのが分かったから、ここで修行してもよい」と許された。

川上 現役時代のわたしは、どうしたらヒットが打てるかしか考えていませんでした。自分以外の人の動きなど考えることもなかったのに、老師からの教えで、真剣に打ち込んでいると、やがて妙を得る。そこからさらに修行し、無刀の域に近づくことだと教えられたのです。人間が飛躍するには常に精神の安定と、正しい判断ができる心の物差しが大切だと思うんです。わたしの場合は指導者になるころから禅を通じて、これを学んできました。

現役時代の1950年(昭25)9月初旬の多摩川グラウンドで「球が止まって見える」と劇的な瞬間に巡り合った。わがままだった川上は、逸外に「あんたは打撃のコツをつかんでおるかもしらんが、今のあんたを水と氷にたとえれば、氷じゃな」と諭された。

「水と氷は同じかもしれないが、氷のままでは顔をも洗えんし、花にやることもできません。でも氷を溶かして水にすればどんな形の器にも自然に沿うことができます。あんたが止まった球というのは、そのままでは氷のままです。それを水にするように、この寺で考えてみることです」

逸外が他界して約40年が経過した。正眼寺で会ったのは、希代の禅僧に師事した老師の山川宗玄だ。1974年の入門当時は雲水として川上の隣で座った人物。今年4月に妙心寺派管長に就く。

レバノン生まれで、LAで育った雲水の慈雲に通された奥の間で、その人に会った。「今、川上さんが生きていれば、大谷選手といい勝負をするでしょうね」。山川はそう信じて疑わないと、静かに口を開くのだった。【寺尾博和】(つづく、敬称略)

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