大型連載「監督」の第9弾は、今年90周年の巨人で9年連続リーグ優勝、9年連続日本一のV9を達成した川上哲治氏(13年10月28日逝去)を続載する。「打撃の神様」だった名選手、計11度のリーグ優勝を誇る名監督。戦前戦後の日本プロ野球の礎を築いたリーダーは人材育成に徹した。没後10年。その秘話を初公開される貴重な資料とともに追った。

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底冷えの冬に川上が通い続けた正眼寺は、臨済宗妙心寺派に属する禅の専門道場だった。若い修行僧は老師の梶浦逸外の指導を受けながら、数年間をそこで過ごした。

午前3時半に起床し、4時から本堂で朝課という読経後、板張りの廊下で朝食になる。むぎをまぜたかゆ、たくわんをかむ音を立てれば怒鳴られた。私語は禁止、夕食後に再び坐禅を組んだ。

当時雲水で、現在の老師・山川宗玄は、坐禅に取り組む心を、自ら筆で『向上一路 千聖不傳』と色紙にしたためた。ひたむきな修行が真につながる道。その境地にたどり着こうとした川上の姿を覚えていた。

「球が止まって見えた」という川上に、逸外は「なかなかのもんじゃ。だが禅でいえば60点がいいとこじゃの」と評されたという。

「川上さんは60点といわれてがくぜんとしたようです。氷と水の関係も、水はいかなる器にも入るが、氷はそうはいかない。野球だけ、打者だけの考えでは、指導者にもなれない。だから水にするよう考えてみてはどうか? といわれて坐禅を決意したと思います」

富も、名声も、理屈、理論もない空間で、人として何を成すべきかだけを考え、自身の生き方を問い直した。逸外には「その球そのものに君がなれないわけがない」と諭される。すわり抜く厳しい修行の末に、監督としての「覚悟」が生まれた。川上は後で星野仙一(中日)にも勧めたが、早々と音を上げた。

山川は「あまり知られていない話ですが」と日常でも坐禅を組んだ秘話を明かした。

「川上さんは、いつも試合をしてるし、自宅にも記者が訪れ、なかなかくつろぐ時間がないとおっしゃった。では、どこかで坐禅するんですか? とうかがった。唯一考えついたのがトイレだったらしいです。そこにはだれもついて来ない。だからそれに気付いて和式を洋式に替えたらしい。ぱたっとフタをして腰掛けるように坐禅をしたらしいんです」

山川が正眼寺に入門した年、川上はすでに10年以上も参禅にきていた。

「修行の先輩で雲の上の人でしたが、少し慣れてきたので、トイレで坐禅するというのはどうするんですか? とお聞きした。無念無想になるんですか? とか」

勝つか、負けるかでなく全力を尽くす。結果を期待せず無意識になったときに恵まれる。無我夢中になったときにこそ、最高の結果がでるという。

「9回裏に1点差で負けているイメージをするんだそうです。それを逆転して勝つと頭に思い浮かべる。毎日すわって、その通りになることありますか? と聞いたら、1度もないという。だけども、そういうイメージをするから、現場では平常心になるとも。我々の世界では“びょうじょうしん”と言いますが、どんなに敗色の濃い試合も、すべてを平常心で対応ができると、すると結果的に高い勝率になります。ピンチというか、窮地をイメージしているから、現実の試合はもっと楽になりますよね。そのことを聞いたときはもう感動しました」。【寺尾博和】(つづく、敬称略)

◆向上一路 千聖不傳(こうじょうのいちろ せんしょうふでん) 悟りの境涯は、言葉や文字を使って伝え表現できるものではない。ただひた向きに向上心をもって仏道を歩み続ける。

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